デジタル版「実験論語処世談」(24) / 渋沢栄一

9. 善にも習慣がつく

ぜんにもしゅうかんがつく

(24)-9

子曰。回也其心三月不違仁。其余則日月至焉而已矣。【雍也第六】
(子曰く、回や、其心三月仁に違はず、其余は則ち日に月に至るのみ。)
 孔夫子は、容易な事で人に仁を許さず、大抵の人を目するに仁に到らざる者を以てせられたのであるが、顔回に対して丈けは仁を許されたものだ。茲に掲げた章句も亦、顔回の仁を賞められたのである。この章句の意味は、孔夫子の御弟子のうちで顔回のみは仁の心を三月の永き間も間断なく持続してゆけるが、その他の御弟子たちは、日に一度か月に一度かぐらゐ漸く仁の心になり得らるるに過ぎぬものだといふにある。然し、茲に「三月」と孔夫子が曰はれたのは、必ずしも暦日の三ケ月即ち九十日と日数を限られたわけのもので無い。ただ永い月日の間、顔回は継続的に仁を体してゆき得られるが、他の弟子が仁を体するのは、頗る間歇的のものである事を戒められたまでである。
 昔から人は悪い習慣には慣れ易いものだとされて居るが、人は又善の習慣にも慣れ易く、善の習慣がつきさへすればそれで或る限度までは永遠までも善で貫徹してゆけるものだ。其姓名は今一寸忘れたが、先年森村男爵の紹介で面会した人がある。この方は、現に耶蘇教の牧師を勤て居られるが、十八歳の時に或る女教師と通じて其女を殺害して以来、十八年の間悪事といふ悪事ばかりを働き、幾度と無く監獄にも入つたのである。然るに一朝翻然として悔悟するや「回顧十八年」なる一書を公にし、現に牧師を勤め神妙に致し居られる。つまり、善の習慣が品性についた結果であらうと思はれる。私が斯の人に二度目に遇つた時に、その「回顧十八年」を斯の方から贈られたので「昔ならば、貴公は兎ても恐ろしい人で、斯く平然対談して居られるわけのもので無いのだが……」と笑ひながらに曰ふと、「今は既う爾んな事は無いから、決して御心配に及びません」と、先方も笑ひながら答へられたのであつたが、この方が果してこれで死ぬまで一生貫徹してゆかれるか何うかは、まだまだ疑問である。棺の蓋を覆うてからで無ければ本当のところは解らぬ。

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デジタル版「実験論語処世談」(24) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.157-164
底本の記事タイトル:二三五 竜門雑誌 第三四八号 大正六年五月 : 実験論語処世談(二四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第348号(竜門社, 1917.05)
初出誌:『実業之世界』第14巻第6,7号(実業之世界社, 1917.03.15,04.01)