デジタル版「実験論語処世談」(24) / 渋沢栄一

7. 四人の勇士と争ふ

よにんのゆうしとあらそう

(24)-7

 さて、当時その大沢源次郎といふ男は下加茂あたりの家の一室を借りて住んで居つたやうに記憶するが、新選組の勇士四人と伴れ立つて或る夕刻私が大沢の宅まで赴くと、その途中へかかつてから私と四人の勇士との間に一論争が起つた。護衛の面々は、私と一緒に門内に入り、私が申渡しをする前に大沢を縛してしまはうといふのであつた。先方は不軌を図るほどのもので、且つ武術にも達して居る男のこと故奉行所への同道を求めらるるや直ぐ私に対して何んな暴行に及ぶか知れたものでない、その際、万ケ一にも私の身の上に危害でもあつては折角護衛を命ぜられて来ながら四人の面目が全然立たぬことになつてしまふ。それでは任務の手前甚だ以て困り入るにより、先づ有無を言はせず大沢を縛させるやうにして貰ひたい。その上で私より申渡しをしてくれさへすれば危険が無くつて無事だから、是非さう取計つてくれといふのが四人の主張であつた。
 それでは私の役目の上に面目が立たぬやうになるからとて、私は断然この申出でを却けたのである。苟も武士に対して何の沙汰も致さずに之を縛するといふ法は無い。護衛の面々が役目の上の面目が立たぬやうになつては困るといふのなら、私とても役目の上の面目が立たぬやうでは猶且御同様に困るでは無いかと飽くまで私は主張したので、四人のうちの土方歳三といふ人が事理の理解つた人であつた為、私の主張を理ありとし、この場合、渋沢のいふ通りにするが可からうとの事になり、そんなら門前より見え隠れに護衛をするやうにさしてくれとの事ゆゑ、之までも拒むには及ぶまいとその如くに致させ、私のみ単身門内に入つて名刺を出し、奉行よりの用務で罷出でたるもの、何卒御面会を得たいと申入れると、大沢は何気なく出て来られたので、私は厳粛なる態度で「奉行に於て御取調べの廉あるに付、即刻奉行所まで出頭せられよ」と申渡し、終つて門前に待たせ置いた四人の者を召び入れて大沢を之に引渡し、警衛の上奉行所へ同道することにしたのであるが、この時の私の所置が頗る当を得て居つたので、畢竟胆が据つて居るからだとか何んとかと持て囃された為、平岡準蔵氏は私が静岡へ参つた時にこの当時の事を記憶し居られて、渋沢ならば胆もある男ゆゑ大に用うべきであるとて、私を同氏より静岡藩の勘定組頭に推薦したものであつたのだが、なほ今一つ同氏が私を推薦するに就ての最近の原因になつたものがある。

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キーワード
四人, 勇士, 争ひ
デジタル版「実験論語処世談」(24) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.157-164
底本の記事タイトル:二三五 竜門雑誌 第三四八号 大正六年五月 : 実験論語処世談(二四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第348号(竜門社, 1917.05)
初出誌:『実業之世界』第14巻第6,7号(実業之世界社, 1917.03.15,04.01)