6. 歩兵頭俗事掛となる
ほへいがしらぞくじがかりとなる
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ところがこの禁裏附番頭に大沢源次郎といふ者があつて、不軌を企てて居るとの説が大阪表へ伝えられて来た。不軌を企てたと謂つても別に幕府へ弓を弾くやうな大きな企てをしたのでも何んでも無く、薩人に向つて一寸した幕府の悪口を言つたぐらゐに過ぎなかつたのだらうが、兎に角大阪ではそれは大事であるから直ぐにも大沢を召捕らうといふことになつたのである。然し、召捕には又夫々の作法がある、苟にも禁裏番頭を勤むる士分の者を罪人扱ひにし、有無を言はさず縄を打つて引つ立てて来るわけにも行かぬ、一応礼を以て奉行所への同道を求め、その際抵抗するに至つて初めて余儀なく縄を打つて引き立てる、といふ段取りにするのが当時の御法であつた。
然るに大阪表に於ては、この大沢源次郎に奉行所への同道を求める儀を申渡す使者の役目を引受けようと誰一人申出づる者が無い。是れ全く大沢の武勇を恐れてのことであつたのだが、私は其頃、撃剣などもやつたことがあつて、強いとか何んとか評判されて居つたものだから、遂に斯の使者の役目が私へ転んで来たのである。当時、私はまだ血気も盛んであつたので、潔く其役目を引受ける事にした。つまり皆の者が臆病風に吹かれたのでこの大役が私に廻つて来たのである。
さて、愈〻、使者の役目を帯びて赴かうといふ段になるや、私は単身一人で出かける積であつたのだが、先方の大沢は名だたる勇士のこと故、私一人のみを遣つて危害でも出来ては取返しがつかぬからといふので、私の拒むにも拘らず、近藤勇の率ゐる新選組の者が四人、私の護衛として大沢の宅まで私と同道する事になつたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(24) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.157-164
底本の記事タイトル:二三五 竜門雑誌 第三四八号 大正六年五月 : 実験論語処世談(二四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第348号(竜門社, 1917.05)
初出誌:『実業之世界』第14巻第6,7号(実業之世界社, 1917.03.15,04.01)