デジタル版「実験論語処世談」(24) / 渋沢栄一

8. 留学費の精算表調製

りゅうがくひのせいさんひょうちょうせい

(24)-8

 幕府から海外へ留学生として派遣せられて居つたものは、決して少くなかつたが、夫々多額の留学費を支給せられて居つたにも拘らず、留学費に欠乏を感じた場合にのみは何んの彼んのと精算表めいたものを提出して不足金を請求し、残余金なぞのある場合には、それが幾らあつても総て之を有耶無耶に附してしまひ、精算を立てて残余金を返還するなどいふ事は決して致さなかつたものである。殊に維新の大改革により幕府が倒れてしまつてからなぞは、ドサクサ紛れに乗じて、留学費の精算を誤魔化してしまふものが多かつたのだ。
 然し私は私の性分として兎ても爾んな曖昧な真似は出来ぬので、民部公子留学費中の残余は総て帰朝の際之を持ち帰り、そのうち八千円を帰朝してから鉄砲の買入代金として民部公子に御渡し申上げ、なほ一万円を旧幕府の後身たる静岡藩に返還し、詳細なる収支精算表を調製して之に添へ、収支を毫も曖昧にせず之を明確にし、且つ仏蘭西で民部公子の為に購入した物品調度の詳細なる目録をも作り、そのうち仏蘭西に如何なる品々を残して来たか、その辺のところまでも之を目録にして提出したので、維新後静岡藩の勘定奉行をして居られた平岡準蔵氏は之を見て甚く感心し、旧幕府時代には大沢事件によつて私を胆の据つたものと思ひ居られた事とて、胆の据つてる上に斯く計算に曖昧なる処無く正確であるとすれば、之を静岡藩の勘定組頭にしたら適材を適所に置く所以であらうと考へられて私を推薦せられたものであつたのだ。私と平岡氏との関係は斯くの如くであつたから、平岡氏の性情は私に於ても能く知り得る事ができたので、平岡氏が怒を遷さぬ人である事も覚り得たのである。

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キーワード
留学費, 精算表, 調製
デジタル版「実験論語処世談」(24) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.157-164
底本の記事タイトル:二三五 竜門雑誌 第三四八号 大正六年五月 : 実験論語処世談(二四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第348号(竜門社, 1917.05)
初出誌:『実業之世界』第14巻第6,7号(実業之世界社, 1917.03.15,04.01)