デジタル版「実験論語処世談」(23) / 渋沢栄一

8. 学問した人の長所

がくもんしたひとのちょうしょ

(23)-8

 今日、実業界にあつて成功者を以て目せられて居る方々のうちにも学問をして居らぬ人が無いでも無い。それを見て世間には、学問なんかといふものは無用の長物であるかの如くに謂ひ、学問の徳を侮蔑する人もあるやうだが、これは一を知つたのみで二を知らぬものだと謂はねばならぬ。学問が無くつても才智があり力量があり、又努力を怠りさへせずば、或る程度までは何事でも成し遂げ得らるるものであるが、又学問をした人で無ければ解らぬ事も世の中にはあるものだ。
 物事の大綱を握り、人情の趨く所を察し、刻下の時勢に処して何が最も急務であるかといふ事を明察し、決然たる覚悟を得る如きは何うしても学問をした人で無ければできぬ事で、単に才智や力量や努力ばかりではできるもので無い。それから学問をした人は、何かにつけ其人の為る仕事に順序が立つて、秩序正しく事業を進めてゆけるものである。然るに、学問の無い人の為る仕事は何うしても順序が乱雑で、事業が秩序正しく進行せぬものである。此頃西洋では能率増進といふことが八釜しい問題になつて研究せられて居るやうだが、同じ「一」の力でも学問をした人が之を持てば、学問を為ぬ人よりもその能率を増進させてゆく事のできるものである。畢竟予定を立ててキチンと秩序正しく仕事を進めてゆき、此の次ぎには是れ、これが済んだらアレと、時間にも力にも無駄を拵へずに悉く之を有効に利用し得らるるからである。
 学校卒業生が役に立つとか立たぬとかいふ問題も、窮極するところその能率如何によつて決せらるべきものだらうと思ふが、学校の学課を順序よく修めて来たものは、之を学校出身ならざる者に比すれば何うしても其仕事に秩序的な順序正しいところがあって、能率が進んで顕はれて来るやうに思はれる。之が私の今日まで実験した処によつて達し得た結論である。私一己人としても及ばず乍ら自分の仕事を順序立てて進めてゆく事ができたり、又変遷の激しい時勢に処して刻下の急務の何なるやを察知判断するを得たのは、全く多少なりとも学問をして居つた功徳の致すところで、茲に学問の利があるのでは無からうかと思ふのである。学問をした人が、学問が無いからとて経験のある人の経験を蔑つてはならぬやうに、経験のある人も自分に経験があるからとて学問のある人の学問を侮つてはならぬものである。広い意味から謂へば学問は一種の経験であり、経験は又一種の学問である。老人も青年も斯の辺の消息を篤と心得置くべきである。

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キーワード
学問, , 長所
デジタル版「実験論語処世談」(23) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.150-157
底本の記事タイトル:二三四 竜門雑誌 第三四七号 大正六年四月 : 実験論語処世談(二三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第347号(竜門社, 1917.04)
初出誌:『実業之世界』第14巻第4,5号(実業之世界社, 1917.02.15,03.01)