デジタル版「実験論語処世談」(23) / 渋沢栄一

3. 三千年の昔も今も同じ

さんぜんねんのむかしもいまもおなじ

(23)-3

子曰。已矣乎。吾未見能見其過而内自訟者也。【公冶長第五】
[(]子曰く。已んぬるかな。吾れ未だ能く其過を見て内に自ら訟むる者を見ざるなり。)
 人は兎角身儘勝手なもので、自分で自分の過失を知つて、自ら之を責むるといふやうな事を致さず、仮令、過失を知つて之れに気付いても、過失で無い事にして通さうとしたり、或は過失を飾つて人の眼を誤魔化さうとしたりなどしたがるものだ。中には他人に我が過失を知られても、自分は強ひて之を知らぬやうな顔をして図々しく通してしまはうとする人なぞもある。甚しきに至つては十分自分の非に気付いて居りながら、なほ且つ其非を遂げようとする者さへある。斯る不心得の者の多いことは、二千五百年の昔、孔夫子在世の比も、二千五百年後の大正の今日も同じものと見え、孔夫子は茲に掲げた章句にある如く「已んぬるかな」即ち「あゝ〳〵何うも仕やうが無い事だ」と、自ら其過失を責むる人物の当時甚だ乏しいのを嘆息して居られる。是によって之を観れば、自ら其過失に気がついて之を責むるほどの人物が大正の今日に少い如くに、孔夫子の時代にも矢張甚だ尠なかつたものと思はれる。
 世の中には何事にも進化といふものがあつて、宇宙も進化し、生物も進化し、美人にさへ進化があるとの事だが、如何にも其の通りで、一切万事世間の事にはみな進化の痕が歴々として眼に映つて見える。随つて道徳にも亦進化のあるべき筈で、現に昔の忠孝と今日の忠孝とは同じ忠孝でも忠孝の発顕する形式に異つたところがあり、昔支那で「廿四孝」として賞め頌へられた孝行の形式は、大正の今日に於て決して行はれ得る形式で無い。実際にあつた事か無かつた事か、其辺のところまでは瞭然致さぬが、郭巨の如く我が親を養はんが為に我が子を生埋めにするなぞといふ行為は今日の道徳観念の上から謂へば、之を孝なりとして賞めるわけにゆかぬのである。斯く稽へて見れば、道徳にも明かに進化のあるものと観ねばならぬのだ。然し二千五百年前の孔夫子在世の比にも亦二千五百年後の今日にも、相変らず我が過失を見て内に自ら訟むる者の少い一事に想ひ到れば、道徳は二千五百年前より今日に至るまで毫も進化の痕が無いやうにも思はれる。
 又、孔夫子が切りに説かれた先王の道なるものは、尭舜禹湯文武の諸帝が実践躬行せられた道を指したものであるが、孔夫子は尭帝を去ること少くとも二千五百年、周の武王からですらも少くとも三百年後の人だ。かくして尭帝の時代にも、それから少くとも二千五百年を経た後の孔夫子の時代にも道に二つなく、依然として先王の道が人の履むべき道で、それが又孔夫子より二千五百年を去る今日に於ても猶ほ人の履むべき道だとしたら、道徳には進化といふものが無いと断定し得られぬでも無い。此処が疑問だ。

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デジタル版「実験論語処世談」(23) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.150-157
底本の記事タイトル:二三四 竜門雑誌 第三四七号 大正六年四月 : 実験論語処世談(二三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第347号(竜門社, 1917.04)
初出誌:『実業之世界』第14巻第4,5号(実業之世界社, 1917.02.15,03.01)