1. 懐かるる人の美徳
なつかるるひとのびとく
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維新以来、日本にも随分豪い人物が多く現れた。伊藤公でも、大隈侯でも又井上侯でも夫々みな豪い御仁であるに相違は無いが、孰れも善を伐りたがる方々のみで、「おれは是れ丈け豪いぞ」と言はぬ計りに吹聴するを好まれる方である。善を伐らぬ人は殆んど御見受け致さぬほどであると申しても過言では無いが、西郷隆盛公、それから西郷従道侯などは此の間にあつて善を誇らぬ人であつたかのやうに思はれる。昨年の暮薨去になつて国葬を受けられた大山巌公なども、亦、善を誇らぬ方であつたやうに思ふのである。
善を伐つたり、労を他に転嫁したりしたがる人は、何うしても多くの人から懐き慕はれるもので無い。多くの人から懐き慕はれる人は、決して自分の善を誇らぬものだ。大山公には別に是れといふやうな傑出した能所があつて、人目を惹いたのでも何んでも無かつたが、大層よく人が懐いて多くの人々に慕はれた方である。これは善を誇らなかつたからであらうと思はれる。人が善を誇らぬやうになるのには先づ第一に発達した常識が無ければならぬものである。善を伐つたり、労を他に転嫁したりする人はつまり常識の乏しい人である。大山公は常識が発達して之に富んで居られたものだがら、善を誇らず、他からも懐き慕はれるやうになられたものであらうと察せられる。然し更に又常識の根柢となるものに、同情心のある事を忘れてはならぬ。精神の根柢に同情心が無ければ、人の常識は決して発達せぬものだ。善を伐らなかつた人としては、西郷隆盛公、西郷従道侯、大山巌公などの外に猶ほ木戸孝允公、徳大寺実則公なども亦其人であつたかと私は思ふのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(23) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.150-157
底本の記事タイトル:二三四 竜門雑誌 第三四七号 大正六年四月 : 実験論語処世談(二三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第347号(竜門社, 1917.04)
初出誌:『実業之世界』第14巻第4,5号(実業之世界社, 1917.02.15,03.01)