11. 結局私にも利益となる
けっきょくわたしにもりえきとなる
(22)-11
私が喜作の招いた七十万円の借金を片付ける為に論語にある子路の意気を以て、毎年一万円づつ十二年間で合計十二万円だけ自分の金を出した際には、全く棄てる積であつたが、今日に相成つて見ればそれが不思議に廻り廻つて私の利益になつて居る。当主の義一が店主になる際、私が喜作の弗相場失敗跡片付の為に出金した斯の十二万円を、今俄に纏めて御返ししようとしてもそれは兎てもできぬことであるから、(キ)の財産やら暖簾やらは幾干ぐらゐになるものか、そこの処は判明せぬが、兎に角、十二万円に対する代償として(キ)の店の株を二分して、其の一半だけを差上げることに致したいから受取つて呉れとの事で、私も之を承諾し、(キ)の糸店を渋沢義一と私との共同経営に成る匿名組合とし、私は(キ)の店の株を半分持つ事になつたので、損をする時には其の損を半分受持たねばならぬ代り、利益があれば純益の半分が私に入るやうになつて居るのである。
再昨年欧洲戦争の起つた際には生糸の売行が悪くなり、一時糸の値段も非常に下つたので、地方の製糸家に卸して置いた資金が毫も回収せられて来ぬ為に、数十万円の貸越となり、或は喜作が明治二十年に弗相場で失敗した際の如き大損害を蒙るのでは無からうかと心配もしたが、一昨年来糸価が非常に昇騰し、地方の製糸家は孰れも大きな利益を見るようになつたので、貸越しになつて居つた製糸資金を悉く回収し得た上になほ(キ)の店は若干の利益をさへ揚げ得るやうになつたので、義一も私も共に悦んで居る次第である。
- デジタル版「実験論語処世談」(22) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.142-149
底本の記事タイトル:二三二 竜門雑誌 第三四六号 大正六年三月 : 実験論語処世談(二二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第346号(竜門社, 1917.03)
初出誌:『実業之世界』第14巻第2,3号(実業之世界社, 1917.01.15,02.01)