7. 喜作陸軍檻倉に入る
きさくりくぐんかんそうにはいる
(22)-7
榎本さんの軍は函館五稜廓に立て籠つてるうちに、一二度官軍と小さな戦もしたやうであるが、征討総督の参謀黒田清隆さんから、利害を説いて降伏を勧告したので、榎本さんも其気になつて勧告に応じ降伏する事となり、喜作は榎本さんと共に、官軍に降伏し、その結果、三年間陸軍の檻倉に入牢申付けられ、囹圄の人となつたのである。然し明治四年に至り赦されて愈よ出獄の事になるや、親類の者が誰か受取の為に来いといふので、私は其の時既に仏蘭西より帰朝し大蔵省に出仕して居つたものだから、私が喜作の親類として同人を受取に出頭し、伴れて帰つたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(22) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.142-149
底本の記事タイトル:二三二 竜門雑誌 第三四六号 大正六年三月 : 実験論語処世談(二二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第346号(竜門社, 1917.03)
初出誌:『実業之世界』第14巻第2,3号(実業之世界社, 1917.01.15,02.01)