デジタル版「実験論語処世談」(22) / 渋沢栄一

2. 世の中は意の如くならず

よのなかはいのごとくならず

(22)-2

 されば厭やな人だ好かぬ人だと思ふやうな人とは、斯の心を匿くしてまでも強ひて友達交際をしてゆく必要の無いものと私は思ふのである。怨を匿くして友達交際をされたのでは、交際はれる方に取つても其の実非常な迷惑である。あの人は自分に同意同感の人だと思つて居たところを、何かの事で愈よ瀬戸際といふ処になつてから、ヒヨイと肩を外されてしまつては総ての計画に狂ひが来て、飛んでも無い馬鹿を見ねばなら無くなる。故に、怨を匿くして其人を友とする事は単に卑怯の行為たるのみならず、先方の人に対しても尠からぬ損害を懸けることになるから、深く慎まねばならぬものである。
 然し、人の心は猶ほ其面の異る如く千差万別のもの故、総て之を一列一体に自分の心の傾向と同じものにしてしまはうとしても、それは兎てもできるものでは無い。自分は自分の流義によつて、自分の行くべき道を進み、他人は他人の流義によ[つ]て、是れ又その行かうとする道に進ませるより他に法の無いもので、自分と違つた流義の人を無理から自分の流義に屈服させようとしても、其れは駄目である。いろいろと流義の異つた人間が寄り合つて、敢て大した喧嘩もせず、和衷協同相助け相進んでゆくところに世の中の面白味はあるのである。
 随つて、自分の気に合はぬ人に対してだからとて、「貴様は大馬鹿者だ」と、頭から啀みつけて罵るにも及ばぬ事である。如何に、怨を匿くして交るのが人の道で無いにしても、それでは礼といふものが無くなつてしまうことになる。礼を守つて併も巧言令色足恭に流れぬやうにするのが七分三分の均衡で、世に処するに当[つ]て誠にむづかしい処であるが、礼はいろいろと流義の異つた人を寄せ集めて之を一つに纏め、世の中を進歩さしてゆくに必要な膠の如きものである。如何に巧言令色足恭は人の恥づるところであつても、礼を失ふやうになれば世の中は全く乱脈になつて了うものである。

全文ページで読む

キーワード
世の中,
デジタル版「実験論語処世談」(22) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.142-149
底本の記事タイトル:二三二 竜門雑誌 第三四六号 大正六年三月 : 実験論語処世談(二二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第346号(竜門社, 1917.03)
初出誌:『実業之世界』第14巻第2,3号(実業之世界社, 1917.01.15,02.01)