デジタル版「実験論語処世談」(22) / 渋沢栄一

9. 喜作相場で再失敗す

きさくそうばでさいしっぱいす

(22)-9

 ところで米と蚕糸とを商売にして居る間に元来投機心の旺んな男であるから、喜作は遂に米相場に手を出して大失敗を招き、明治十四年に至り、十数万円の大損失を招いたのである。その際私は喜作が致した借金の保証人にもなつて居つたものであるから私が引受けて、その損失を弁済整理してやつたのであるが、以後喜作に於ては米相場に一切手を出さずに、米は現物の委托販売のみとし、専ら生糸のみを取扱ふ事を条件にしたのである。
 整理をしてやつてから三四年は神妙に穏しく慎んで居りもしたが、持つて生れた投機心は却々止まぬものと見え、明治十八年頃より、喜作は弗相場といふものに手を出したのである。当時株式会社といふものが殆ど無く、取扱ふに足る丈けの株券も無かつたものだから、今日のやうに株の相場といふものが建たなかつた代り、明治十年の西南戦争で政府が紙幣の乱発を行つて以来、貨幣と紙幣との間に価格の差を生じ、その差に変動があり、又金銀貨の間に比価の変動もあつたりしたので銀塊の相場が行はれたのであるが、之を称して弗相場と謂つたものである。
 元来相場なるものは実物を売買するので無く、景気を売買するのであるから、その道具に使はれるものは米と株とに限つたもので無い。品物は何んでも可いのである。依て株券の無い明治廿年頃には銀の如き価格に変動を生じ易いものが道具に使はれて、弗相場なるものが行はれたのである。私は相場を一切行らぬと決心して来たから、今日まで相場で拾円の金を儲けたことも無いが、又損した事も無い。然し、行り始めると却々面白いものださうで、容易に廃められぬとの事である。喜作が矢張廃められなかつたものと見え、米相場で既に多大の失敗を招き、随分他人にも迷惑を懸け居るに拘らず又懲り性もなく弗相場をはじめたのであるが、今度の失敗は米相場で失敗した時の如く生優しいもので無く、銀行に懸けた損害ばかりでも五十万円、その他にも猶ほ二十万円ばかりの借金があつたから合計七十万円といふ大損矢であつたのである。それが恰度明治二十年の事である。

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キーワード
渋沢喜作, 相場, 失敗
デジタル版「実験論語処世談」(22) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.142-149
底本の記事タイトル:二三二 竜門雑誌 第三四六号 大正六年三月 : 実験論語処世談(二二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第346号(竜門社, 1917.03)
初出誌:『実業之世界』第14巻第2,3号(実業之世界社, 1917.01.15,02.01)