デジタル版「実験論語処世談」(22) / 渋沢栄一

1. 怨を匿して交れば曲従

うらみをかくしてまじわればきょくじゅう

(22)-1

子曰。巧言令色足恭。左丘明恥之。丘亦恥之。匿怨而友其人。左丘明恥之。丘亦恥之。【公冶長第五】
(子曰く、巧言令色足恭は、左丘明之を恥づ。丘も亦之を恥づ。怨みを匿して其人を友とするは、左丘明之を恥づ。丘も亦之を恥づ。)
 巧言令色の宜しからぬものである事は、既に「学而篇」の「巧言令色鮮矣仁(巧言令色鮮きは仁)」の章句を挙げて談話した際に詳しく申述べ置いたから、茲には重ねて談話するのを省略致すが、「足恭」は「スウキヨウ」と読むべきもので、「恭謙の度に過ぐる事」をいふのである。他人に取入らうとして、世辞軽薄を並べ、先方の気色を窺つて自分の色を変へ、先方の意を迎へて私利を計らうとするのが目的で、腹にも無い謙遜をして、馬鹿々々しいほど下手に出て見せたりなぞすることは、苟も心ある者の恥づる処であるから孔夫子の先輩たる左丘明の如き、素より之を恥ぢたものであるが、孔夫子とても亦、左丘明と等しく斯る行為に出づるを恥辱なりとせられ、殊に腹の中では憎くつて憎くつて堪らぬほどの人に対しても、面と対つては何喰はぬ顔を装ひ、友達のやうな顔を作つて相交る如きは深く恥辱とする処であるぞ、と仰せられたのが、茲に掲げた章句の意味である。
 世間には腹の中で「ナニ!斯の馬鹿野郎が……」と思つて侮蔑の念を懐いて居る癖に、其人の前に出た時ばかりは如何にも其人を尊敬するかの如く見せかけ、背後に廻つて直ぐ紅い舌をペロリ出したりなぞして居る者がある。孔夫子ならぬ私でさへもそんな行為は兎ても恥しくつてできるもので無い。依て私は如何なる御仁に対しても、御同意のできぬ事はできぬと瞭然申す事に致して居るが、自分の流義と全く違ふ流義の人に対しても猶ほ同意せるかの如くに見せかけて居れば、遂には情実に余儀なくされて、之に曲従せねばならぬやうな事になつたりもする。

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デジタル版「実験論語処世談」(22) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.142-149
底本の記事タイトル:二三二 竜門雑誌 第三四六号 大正六年三月 : 実験論語処世談(二二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第346号(竜門社, 1917.03)
初出誌:『実業之世界』第14巻第2,3号(実業之世界社, 1917.01.15,02.01)