11. 編纂所組織の大要
へんさんじょそしきのたいよう
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編纂の大方針は余り批判を加へず、材料を組織的に編纂して事実を有のままに示し、読者をして判断せしめる事にしてあるのだが、時には材料を綜合して断定を加へて置いたところもある。記述せられた部分は一々私が眼を通して読み、之に対し私の意見も申述べることにして居るが、私の幕末に於ける進退などに就ても、この慶喜公伝のうちには詳細に記録せらるることになつて居る。
慶喜公伝の編纂事業は、幕末事情に精通する古老に次々と逝かれてしまへば材料を得るに困難なわけにもなり、又私とても永遠まで生きて居られるものでも無いから、できる丈け進行を急いで来たのであるが、斯る事業は進行の遅々たるのが本来の性質であるところより、明治廿六七年の頃初めて編纂に着手して以来既に二十年にもなるが、まだ完了するまでには至つて居らぬ。然し、愈〻本年早々のうちに編纂だけは完了の運びとなる筈である。それにつけても一寸考へると、大日本史の編纂が水戸義公以来漸く近年に至つて完了するまで二百年を経過して居るのは、甚だしく長歳月を要せる如くに思はれぬでもないが、一徳川慶喜公伝の編纂にすら二十年を要するものだとすれば、大日本史の如き浩瀚なる国史の編纂完了に二百年の長歳月を要したのは当然の事で、私の慶喜公伝編纂事業に比すれば寧ろ早や過ぎるくらゐのものである。
編纂を終つても猶ほ、印刷頒布の事業が残つて居る。これを何うしたものだらうかといふのが目前の問題であるが、五六冊の分本にして発行する積りである。総紙数は菊版五号活字で少くとも五千頁ぐらゐには達するだらうと予想せられる。
- デジタル版「実験論語処世談」(21) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.132-142
底本の記事タイトル:二三一 竜門雑誌 第三四五号 大正六年二月 : 実験論語処世談(二一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第345号(竜門社, 1917.02)
初出誌:『実業之世界』第13巻第25号,第14巻第1号(実業之世界社, 1916.12.15,1917.01.01)