デジタル版「実験論語処世談」(21) / 渋沢栄一

2. 人に重んずべきは晩年

ひとにおもんずべきはばんねん

(21)-2

 人の一生の中で、何れ疎かに致して宜しいといふ時期のあらう筈無く、一生涯を通じて一分一秒と雖も、悉く是れ重んずべき貴重の時間たるには相違無いが、人の生涯をして重からしむると軽からしむるとは、一に其の晩年にある。随分若いうちは、欠点の多かつた人でも、其晩年が正しく美はしければ、其の人の価値は頗る昂つて見えるものである。之に反し、随分若いうちは豪かつた人でも、其晩年が振はなければつまらぬ人物になつて見えるものである。人の一生に取つて晩年ほど大事なものは無い。秀吉も其若い頃に得意とした明快なる決断力を晩年まで持続し得、臨終に近づくに際しても淀君を家康に引き合はせ、「何が何んでも我が死後は家康の命令通り」といふことに遺言して置きさへすれば、如何に驕慢の淀君だからとて、秀吉の遺言に反くほどな理不尽の挙動に出で得ざりしなるべく、能く家康を尊重して其命のまにまに従ひ、豊臣家の安泰を期し得たらうと思はれる。ただ斯くするまでの果断が無かつたので、秀吉の没後忽ちにして豊臣家の衰亡となり、為に光明赫々たる太閤秀吉の一生が暗雲に包まれてしまつたかの如き感じを、後世の人々に与へぬでも無い。されば古人の詩にも「天意重夕陽。人間貴晩晴。」(天意夕陽を重んじ、人間晩晴を貴ぶ)といふ句があるほどのものである。
 この詩句の意味は一日のうちでも最も大事なものは夕刻で、日中如何に快晴であつても夕刻になりかけてから雨でも降れば、その日一日が雨であつたかの如くに感じてしまはねばならぬと同じやうに、人間も晩年が晴々した立派なもので無いとつまらぬ人間になつてしまふものだ、といふにある。なほ他にも晩年の重んずべきを教へた古人の詩句がある。これは漢の高祖が那的ほどの豪い人傑でありながら、晩年に及び恰も秀吉が秀頼の事を気にして稍〻振はざるものあるに至りし如く、末子たる如意の事を心配してクヨ〳〵した腑甲斐無さを嘆じたもので、其句は「設比嗚咽思如意。烏江戦死又英雄」(もし嗚咽して如意を思ふに比すれば、烏江の戦死もまた英雄)といふのであるが、ここに「烏江の戦死」と誦んだのは項羽の事である。この詩句は「漢の高祖を英雄だ英雄だと古来言い伝へて居るが、晩年に及び末子の如意のことを心配してクヨ〳〵し、泣いたり騒いだりしたのは何んといふ態タラクだらう。あんなザマの人間をも猶ほ称して英雄といふを得べくんば、烏江を渡らずに垓下で潔よき戦死を遂げた項羽の方が英雄なりと謂ひ得るぞ」との意を謡つたもので、人に晩年の注意すべきものたるを教へた詩である。
 私とても、若いうちは決して欠点の無かつたものであるとは申上げかねる、随分あつたらうと思ふ。然し、晩年だけでも他人様より余り彼是とお小言を頂戴せぬやうにして終り、嗚咽して如意を思ふといふやうな譏りなども受けず、所謂晩晴を期したいものであると心懸け、及ばずながら努力して居るつもりである。人は晩年が立派でありさへすれば、若いうちに多少の欠点失策があつても世間は之を容してもくれ、或る程度までは立派な晩年の生活によつて若い中の欠点失策を帳消しにすることもできるが、如何に若いうちが立派であつても、晩年が宜しく無いとなれば、其人は遂に芳しからぬ人で終つてしまはねばならぬものである。「天意夕陽を重んず」の真意たるや他無し、此の辺の消息裡にある。

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キーワード
, 重んず, 晩年
デジタル版「実験論語処世談」(21) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.132-142
底本の記事タイトル:二三一 竜門雑誌 第三四五号 大正六年二月 : 実験論語処世談(二一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第345号(竜門社, 1917.02)
初出誌:『実業之世界』第13巻第25号,第14巻第1号(実業之世界社, 1916.12.15,1917.01.01)