デジタル版「実験論語処世談」(21) / 渋沢栄一

6. 旧悪を忘れ旧恩を思ふ

きゅうあくをわすれきゅうおんをおもう

(21)-6

子曰。伯夷叔斉不念旧悪。怨是以希。【公冶長第五】
(子曰く、伯夷叔斉は旧悪を念はず、怨み是を以て稀なり。)
 伯夷は兄、叔斉は弟、共に孤竹国の公子で、お互に国を譲り合ひ国を去つたほどに、両人とも義に堅い人々であつたので、周の武王が殷の紂王を討たんとするを聞くや、如何に無道の君なればとて、臣にして君を弑しては仁であるとは申されまいと、武王の出陣に際し馬を叩いて諫め、其言容れられずして遂に殷が亡びて周の天下となるや、周の粟を食ふは忍びざる処なりとて、両人とも首陽山に隠れ、彼の有名なる「我れ安くにか適帰せん、于嗟徂かん、命の衰へたる也」の歌を作つて餓死した人々である。これほどに、この両人は狷介狭量な処のあつた方々であるが、人の旧悪を思うて之を責めたり怨んだりした事は決して無く、旧悪は総て之を忘れてしまひ、何事も天なり命なりと諦め、孔夫子の論語八佾篇に所謂「成事は説かず、遂事は諫めず、既往は咎めず」の流義によつて人に対せられたものである。是に於てか如何に狷介狭量でも、他人より怨まるるといふやうな事はなかつたのである。
 兎角、狷介狭量の人物には、徒に時勢を罵つたり、他人の旧悪を挙げて之を責めたりしたがる傾向のあるものだが、伯夷、叔斉には斯ういふ癖が無かつたので、孔夫子は茲に掲げた章句に於て、両人の斯の美徳を御賞めになつたのである。私は素より伯夷、叔斉ほどの徳を備へて居るわけでも無いが、他人の旧悪は一切之を忘れて思ひ浮かべぬやうに致すのみならず、旧悪を念ふ代りに旧恩を忘れず、謝恩の実を挙げるやうに力めて居る。

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デジタル版「実験論語処世談」(21) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.132-142
底本の記事タイトル:二三一 竜門雑誌 第三四五号 大正六年二月 : 実験論語処世談(二一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第345号(竜門社, 1917.02)
初出誌:『実業之世界』第13巻第25号,第14巻第1号(実業之世界社, 1916.12.15,1917.01.01)