8. 猪飼翁私の見舞を悦ぶ
いがいおうわたしのみまいをよろこぶ
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さて、喜作と私とが一橋家に仕へた時に受けた給料は、役手当が四両一分、扶持が四石二人扶持といふものであつたから、猪飼氏から借りた二十五両を返金するのにも却々骨の折れたもので、毎月一両づつ返したのであるが、そのうち私は大阪に出張することになつたりなぞし、多少の余裕をも生ずるに至り、その年内に二十五両を皆済してしまつたのである。私たちが斯く几帳面に借金を返済するのを見、猪飼氏は私たちを堅い人物だというて、非常に賞めてくれたものである。賞められるだけそれだけ私たちは苦しかつたのだが、自分で市中に買ひ出しに出かけ店頭に下げてある牛の肉を買つて帰り、之に葱を切つて入れ、一緒に自分たちで、煮て食つたりなぞして当時は其日を送つたものである。それは兎も角として、当時私たちが自炊ながらも其日を凌げるやうになれたのは、全く猪飼正為氏が私たちの窮境を憐れんで廿五両を貸して下されたお蔭によることだと思ふので、私は今日に至るまでこの旧恩を忘れず、同氏の息子さんは大蔵省に奉職して居つても、まだ至つて薄禄のこと故、御恩返へしのつもりで、及ばずながら彼是れと御力になるやうに致して居る。
猪飼氏の息子さんは大抵毎日曜日に私の宅を訪はれるが、猪飼老人も私が旧恩を忘れず些かでも御尽し申しあげるのを非常に悦ばれて居るさうで、息子さんの話によれば「おれには渋沢が付いてるから安心だ」と、甚く力んで居られ、昨年の夏病気に罹られた時なぞ、私から見舞に菓子折を差上げたのだが、「これは渋沢から己れに呉れたのだから、他の人には決して食はせぬ、己れ一人で食ふ」なぞと言はれて御自分一人で菓子折を大事にして食べられたさうである。私とても、斯ういふ話を聞けば、又満足を覚えぬでも無い。単に猪飼氏のみならず、曾つて一橋家に在られた方々に対しては、旧恩を思うて及ばずながら御世話申上げることに致して居る。
平岡円四郎氏は本所の菩提寺に葬られてあるが、一昨年遺族の方々によつて五十年忌の法事が営まれ、私も之れに招かれたので出席し、本所の御寺へも参つて御墓を拝んで来たが、長男は東京に居住し、次男は信州で裁判官を勤めて居られる。然し御両人とも少し変人であるので、私の宅を御訪ね下さることなぞは滅多に無いが、私は平岡氏より受けた旧恩を未だに忘れぬやうに致し思ひ起しては感謝して居る。
- デジタル版「実験論語処世談」(21) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.132-142
底本の記事タイトル:二三一 竜門雑誌 第三四五号 大正六年二月 : 実験論語処世談(二一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第345号(竜門社, 1917.02)
初出誌:『実業之世界』第13巻第25号,第14巻第1号(実業之世界社, 1916.12.15,1917.01.01)