4. 慶喜公の決断も明快
けいきこうのけつだんもめいかい
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それは兎も角もとして、慶喜公が大将軍の職に任ぜられてから、天下の形勢の趣くところを察知し、断乎として大政奉還に意を決し、一派の反対ありしに拘はらず飽くまで之を実行せられたのは、公に非凡の決断力が無ければできぬことであつたのである。それから、一旦、大政を奉還せられてからは一切明治の御新政に立ち触らぬことに決意せられ、薨去まで四十有余年間、一切政治に干与せられなかつたことなぞも、一見何でも無いやうではあるが、非凡の決断力ある人物に非ずんば遂行し得られぬものである。
総じて水戸義公の如き、或は徳川慶喜公の如き非凡の決断――明快なる決断力を得るやうになることは、深く安心立命を得て居るのが根柢の因になるもので、安心立命が無く又自ら確く信ずる処の無い人は什麽しても決断が鈍り、途中の乱麻を断つて邁進し得らるるもので無い。自ら「是れ」と信ずるところがあつて安心立命を得て居る人は、国家の危急に際しても狼狽せぬのみか、殊に斯る際に処して明快なる決断を行ひ、自ら是と信ずる所に向つて進み得るものである。
- デジタル版「実験論語処世談」(21) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.132-142
底本の記事タイトル:二三一 竜門雑誌 第三四五号 大正六年二月 : 実験論語処世談(二一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第345号(竜門社, 1917.02)
初出誌:『実業之世界』第13巻第25号,第14巻第1号(実業之世界社, 1916.12.15,1917.01.01)