デジタル版「実験論語処世談」(23) / 渋沢栄一

5. 武装平和は野蛮的

ぶそうへいわはやばんてき

(23)-5

 実は私も戦争の始まる前までは、欧洲の文明も段々と進歩して来る模様であるから、国際間に道徳が確守されて、国際道徳が向上するやうになるだらうと思つて居たのだが、再昨年以来世の中が全然転覆り返つてしまつて、欧洲の天地は又もや大昔の野蛮時代と同様になり、国と国とが干戈を以て相見えるやうになつたのである。私の意見を申せば、一体、武装平和と申す事が宜しく無い。武装によつて平和を維持して行かうといふのは、国家の警察権がまだ充分に行はれ得なかつた時代に、単身フラリと外出すればいつ其身に危害を加へられるやも知れぬからとて、外出するとなれば必ず弓、槍、鉄砲を用意した護衛兵を伴れて歩いたり、又自分の家の周囲には厳重なる城廓を築いて泥棒に備へ、いつでも盗賊の襲来あれば発砲のできるやうに、城壁に狙ひ孔を穿けて大砲を据ゑ付けて置いたりなぞして、生命財産の安固を計つたのと毫も異る処が無いのである。武装平和は全く野蛮時代の遺習であると申しても差支へは無い。斯く武装しなくつても国際道徳が進歩さへすれば、何とか他に世界の平和を維持して行ける道があるだらうと思はれる。
 孔夫子や孟子が切りに説かれた王道、即ち王者の道といふものは、今日で申す国際道徳の事である。今日よりも昔の時代には却つて支那なぞにさへ王道即ち国際道徳が行はれて居つたもので、一国が武力によつて他の国を圧迫し、之を併呑するやうな事は滅多に無かつたものである。斉にしても魯にしても決して他を圧迫したものでは無い。
 一国が生産殖利の道を講じ、その結果、その国が繁栄して旭日昇天の勢を示すものあるに対し、他の国が生産殖利の道を講ぜぬ為に衰亡して倒れてしまつたのを収めるのは、決して悪い事で無いが、生産殖利によつて国を繁栄させ、その富を以て武力を拡張し、之によつて他国を圧迫し之を併呑してしまふのは、国際道徳を無視した野蛮の行為である。

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キーワード
武装, 平和, 野蛮
デジタル版「実験論語処世談」(23) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.150-157
底本の記事タイトル:二三四 竜門雑誌 第三四七号 大正六年四月 : 実験論語処世談(二三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第347号(竜門社, 1917.04)
初出誌:『実業之世界』第14巻第4,5号(実業之世界社, 1917.02.15,03.01)