デジタル版「実験論語処世談」(23) / 渋沢栄一

2. 株式の大暴落を予知す

かぶしきのだいぼうらくをよちす

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 さて孔夫子の志は、子路の志の如く客気に逸つたものでも無く、さればとて顔淵の如く仙人臭いものでもなく、温乎として玉の如く頗る常識に富んだもので、「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん」といふにあつたのだが、当節は若い者の全盛時代で、老人は安んぜらるるどころか、往々邪魔物扱ひにされる。私は自分が老人になつたから敢て言ふのでも何んでも無いが、老人とても是れで稀には役に立つ事のあるものだ。
 人は年が寄れば、何と謂つても気短になる。前途が短かいからといふわけでもあるまいが、気力が衰へて来るので気永にして居られぬからだらう。又気力が衰へて来るから、齢を重ねた人は何うしても記憶力の鈍いものである。私なども近来は余程気永にするつもりでも兎角気短になり易く、又記憶力が若い時分に比較すれば著しく減退して来たのに、自分ながら困つて居るほどのものである。然し又老人は橙の数を重ねて長命して来て居る丈けあつて、社会の変遷、人事の転変等にも多く接し、その結果勢ひの落付く処は大抵何んなものか――その呼吸を能く会得し、斯うなれば那的なるもの、那的ゆけば斯うならねばらぬものであるといふ消息を未然にチヤンと予知し得られるまでになつてゐる。従つて若い者のやうにお調子にのつて逸り過ぎ、為に失敗を招く如き危険も稀になり、よし失敗があつたからとて又世の中の景気が悪くなつたからとて、若い者の如く甚く悲観したりなぞするものでも無い。されば若い時分から修養工夫を重ねて来たものが老人になれば、「為政篇」のうちに既に孔夫子も仰せられてある如く、「七十にして心の欲する所に従つて矩を踰えず」といふ自由自在の境涯に入り得らるるものであらうと思ふ。老人の若い者に優る長所は実に其心の欲する処に従つて矩を踰えざる点である。此処が即ち亀の甲より年の功の致す所とでもいふべきであらうか。
 昨年の暮にかかつてから株式市場に大暴落があつて、大分痛んだ人も多い模様であるが、私は本年七十八歳の春を迎へて大分老人になつてる丈けに、之れまで随分多くの変動を目にして来て居る。明治十年の西南戦争後には何うであつたか、日清戦争の後は何う、日露戦争の後は何うといふ事を能く知つて居る。随つて昨年の暮の如くに、あア人気が熱して昂まつて来れば必ずアノ熱した人気が冷却して衰へ、株式市場に当然暴落を見るに至るべき事は私が余程前から予知して居つた処である。あの暴落があつた後の今日であるから、敢て先見めいた事を申すのでも何でも無い――まだ暴落の無かつたうちに、兜町の事務所の人達などへは「私が若し株屋だつたら、此際売り方に廻る。屹度儲かるから……」と笑ひながら談つたほどだ。老人には、多年の経験によつて、これくらゐの事は解るものである。
 それから孔夫子は、朋友は之れを信じ、少者は之れを懐けるのが志であると述べて居られるが、子供と申す者は不思議に同情心のある常識の発達した人で無いと懐かぬものである。子供に懐き慕はるるやうな人でありさへすれば、その人は善人であると申しても差支へない。

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デジタル版「実験論語処世談」(23) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.150-157
底本の記事タイトル:二三四 竜門雑誌 第三四七号 大正六年四月 : 実験論語処世談(二三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第347号(竜門社, 1917.04)
初出誌:『実業之世界』第14巻第4,5号(実業之世界社, 1917.02.15,03.01)