デジタル版「実験論語処世談」(14) / 渋沢栄一

3. 渋沢同族株式会社

しぶさわどうぞくかぶしきがいしゃ

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 渋沢同族株式会社は大正四年三月の設立で、資本金を三百三十万円とし、総額払込済になつて居る。これが即ち私の家産で、これより生ずる利潤のみを同族の間に分配するやうに致してある。利潤分配の歩合に就ては、宗家に最も多く分配する事とし、以下夫々族縁の遠近に応じて率を加減し得るやう、同じ渋沢家同族の者でも同族株式会社の持株数に多少がある。同族内の各家は、その持株数に応じて年々受くる利益配当金を勝手に処分し得らるる規約で、受けた配当金の用途に就ては、何者よりも干渉せられず、それで謡曲を楽むなり、碁をやつて試るなり、其辺は総て自由勝手である。又、同族間に財政上の蹉跌をした者がある時には、之を恢復させるに就ての方法も定めてある。
 渋沢同族株式会社の社長には宗家の当主が上任するのを以て原則としてある。幸に宗家の当主が、同族株式会社の社長たるに足る資格のある者ならば無論結構だが、永い年代のうちには社長たり得る資格の無い不敏不肖の者が宗家の戸主にならぬとも限らぬ。その際には、同族中より適当の人物を互選して社長を挙げることに致してある。斯くして置けば私が仮令喪くなつた後でも、永遠に同族相親和して暮してゆけるやうに思はれるが、然しこれで渋沢一家は絶対に安固だといふわけのものでも無い。同族各家の当主がみな似たり寄つたりの者で、其間に大した優劣の差が無い時代には万事穏かにも進行うが、永い時代には必ず其間に頭抜けて優秀れた者と劣つた者とが現れるに相違無い。そんな場合ともなれば、如上私が永久的に定めて置いた規則も、其の通りに実行せられず、千百の規約があつても忽ち蹂躙せられてしまふやうにもなる。私とて其点は充分に承知して居る積である。私は家憲の外になほ家訓と申すものを明治二十四年五月に作つたが、これは子孫教養の為にするもので、三部に分れて居る。私が必ずしも其の通りに行つて、自ら之が師表たり得るものだとの自信を有するわけでも無いが、或は青年子弟諸君修養の一助にもならうかと思ふので左に掲げることにする。

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渋沢同族株式会社
デジタル版「実験論語処世談」(14) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.60-66
底本の記事タイトル:二一三 竜門雑誌 第三三八号 大正五年七月 : 実験論語処世談(一四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第338号(竜門社, 1916.07)
初出誌:『実業之世界』第13巻第10,11号(実業之世界社, 1916.05.15,06.01)