9. 徳川時代の儒学
とくがわじだいのじゅがく
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徳川時代に於ても朱子派以外の儒者が無かつたわけでは無い。伊藤仁斎の如き同じく元禄時代の儒者ではあつたが、朱子を祖述せず、宋儒の学は孔孟の意に乖くものなりとして盛んに古学派を唱道したのである。然し物茂卿と称した荻生徂徠の如きは極力之に反対したものである。然し徂徠は宋儒の弊を最も甚しく承けた儒者で、仁義道徳の学は自ら国家の政道に参与する士大夫にのみ必要のものなるを主張し、農工商の如き天下の政道に干与し得ざる輩に取つて、仁義道徳の学は敢て修むる必要の無いものであるかの如くにまで稽へた人である。
今日になつて少しく智慮ある者が稽へてみれば、士大夫にばかり仁義道徳の学は必要のもので、農工商には仁義道徳が無くつても可いものだなぞとは、苟も常識あるものの稽へ得ざることの如くに思はれるが、徳川時代には斯る思想が一般に行はれたもので、それが維新後の明治初年頃まで伝へられ、大正の今日と雖も猶ほ算盤と仁義道徳とは矛盾するものであるかの如くに思つてるものが少く無い。是に於てか私には論語算盤説なるものがある。
- デジタル版「実験論語処世談」(14) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.60-66
底本の記事タイトル:二一三 竜門雑誌 第三三八号 大正五年七月 : 実験論語処世談(一四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第338号(竜門社, 1916.07)
初出誌:『実業之世界』第13巻第10,11号(実業之世界社, 1916.05.15,06.01)