デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一

1. 算盤の基礎は論語

そろばんのきそはろんご

(15)-1

 伊藤仁斎は、当時徳川の天下を風靡した朱子学に反対の気勢を掲げ自ら孔孟の意を体せるものなりと称して、所謂古学を唱へたが、仁斎は遂に幕府によつて用ひられなかつたのである。然しこれは恰度政権に志を得ぬ政友会が、昨今九州あたりで盛んに大隈内閣の非を攻撃し廻るやうなもので、仁斎が幕府に用ひられなかつたといふ事が朱子学を攻撃した根本らしい。若し、仁斎も幕府に用ひられて居りさへすればあれほどまでに朱子学の攻撃をしなかつたものであるやも知れぬ。兎に角、仁斎の攻撃などには毫も影響せられず、朱子学の勢力は徳川十五代の天下を風靡し、仁義道徳は士大夫が政道を施くに必要なるもので、算盤を握つて商売をする素町人や、鍬を取つて田畑を耕す土百姓には、仁義道徳など全く不用のものであるかの如くに見られ、これが徳川時代より明治初年にかけての大勢であつたのである。
 然し私は商人にも猶且、信念が無ければ駄目なものであると稽へたので、算盤の基礎を論語の上に置くことにしたのであるが、この事は私が明治六年官途を辞して民間に下り、実業に従事せんとするの意を決した際に、当時私が居住して居つた神田小川町の宅を訪はれ、意を翻すようにと忠告された故大審院長玉乃世履氏に断言した所である。爾来四十有余年、私は毫も斯の信念に動揺を受けず、恰もマホメツトが片手に剣、片手に経文を握つて世界に臨んだ如くに、片手に論語、片手に算盤を握つて今日に至つたのである。斯る次第であるから、私には六ケしく言へば経済道徳説とでも称するやうなものがあるのである。この経済道徳説を論語算盤説とも私は称して居る。

全文ページで読む

キーワード
算盤, 基礎, 論語, 論語と算盤
デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)