18. 智略をも必要とす
ちりゃくをもひつようとす
(15)-18
智とは、事物を観察して判断する力が無ければ、如何に忠恕の精神を行はうとしても如何にして実際に処して然るべきか、見当がつか無くなる。又略が無ければ忠恕の精神を実際の行為に顕はしても、却て他人に災禍を齎らすやうな結果になるものである。従来「略」なる語は「術策」の意味に用ひらるる場合が多く、悪い聯想を伴ふことになつてるが、私の所謂「略」は決して爾んな悪い意味の含んだもので無く、善良なる意味に於ける「略」を指したもので、臨機適宜の工夫、即ち「方便」と同じ意味のものである。
然るに、今の世間の多くの人々が、事物に対して所理する所を見るに智略だけはあるが智略の原動力となるべき筈の忠恕の精神を欠いてるのである。智略だけがあつて忠恕の精神を欠く人の行動は、ただ恩威のみを以て万事万人に臨むこととなり、その間に毫も温い正直な処がないから、人心を動かし得らるるものでも無ければ又社会を動かし得るものでも無い。
- デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)