デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
また古くから、「財悖つて入るものは復悖つて出づ」といふ諺がある。一攫千金の相場で儲けた金銭なぞが則ちそれで、手に這入るときは随分盛んな勢ひでどしどし這入つて来るが、さあ損をするといふ時になると、これも亦、盛んな勢ひでどしどし出てゆき、元も利も無いやうになつてしまふものである。これに就いて一つの面白い実例を私は知つて居るのである。たしか明治四十年か四十一年の頃であつたと思ふが、その頃相場で儲けて四十万円ばかりの身代になつた野村といふ人があつた。甚く病気を煩つて床に就いたのであるが、その時の看病婦が私の世話を焼いて居る東京養育院出身の孤児であつた関係から看護の間に色々と養育院の事などを話して聞かしたと見え、野村が養育院に寄附金をしようとの気があると、私に伝へてくれたものがあつた。さういふ篤志が当人にあることならば、当人の功徳にもなることゆゑ、一万円ばかり養育院に寄附してもらひたいものだと私は思つて一日同人を私の兜町の事務所に招き、一万円寄附の件を話し込んで見たのである。ところが、同人が養育院へ寄附の意志があるかのやうに私の耳へ伝へられたのは、何か話の行違ひから起つたことで、同人には全く斯る意志が無かつたのである。然し私より諄々と説いた末同人も結局その気になり、遂に二千円を寄附したのである。
その中、又この野村と懇意にして居つたもので、(既に故人となつてしまつたが)私とも懇意にして居つた者に松村といふ人があつた。一日私を訪ねて参り、野村が二千円を養育院に寄附したのは実に非常な奮発で、恰も清水の舞台から飛び下りたやうな心地になつて出金したのだから、この上なほ寄附を同人にさせようとしても、到底それは出来ない相談であるが、同人は昨今賭博がかつた商売の相場師を廃めたいとの気になり、これを渋沢の前で誓ひたいと云うて居るゆゑ、是非同人に遇つて衷情を聴いてやつてくれとの事であつたのである。
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- デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)