デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一

15. 自信は安心立命の基

じしんはあんしんりつめいのもと

(15)-15

子曰。不患無位。患所以立。不患莫己知。求為可知也。【里仁第四】
(子曰く、位無きを患へずして、立つ所以を患へよ。己を知る莫きを患へずして、知らるべきを為すを求めよ。)
 茲に掲げた章句と同じやうな意味のことは、従来談話致したうちにも、既に屡々申述べ置いたのであるが、青年子弟諸君は、動もすれば自分の境遇位置が意の如くで無い為に仕事ができぬとか、手腕を揮ひ得ぬとかと、不平を鳴らしたがるものである。然し、爾ういふ人は、仮令、その人の境遇位置が順当になつても、平素広言したやうに大きな仕事のできるもので無いのである。又斯る考へを平素懐いて居る如き人には、自分の望む如き恰好な境遇位置が容易に到来するもので無い。されば人たるものは斯くの如き空想を懐いて、現在の境遇位置に対する不平を鳴らすよりも、現在の境遇位置に処して、果して能く自分の義務責任を完全に尽くして居るや否やを稽へ、之を果す事に全身の努力を傾注するが可いのである。然らずんば、何時まで経過ても衷心に安心立命を得られず、日々不安不平の念に駆られて、生活さねばならぬことになる。これが孔夫子の「位無きを患へずして立つ所以を患へよ」と説かれた所以である。孔夫子は、論語の里仁篇に於てのみならず、他の個所に於て「来らざるを恃まず、以て待つあるを恃む」とも仰せになつて居る。その御趣意は自分の希望の如く果して成るものか成らぬものか判然せぬ境遇及び位置の改善を恃みとせずに、何時如何なる難渋な境遇、如何なる高い位置に置かれても、之に処して失態を醸さざるまでに、旨く其境遇位置に処してゆける丈けの素養を平素より蓄へ、之を恃みにして安心立命を得るやうに致すべきものだといふにある。
 また、如何に自分が豪いぞと威張り散らして、世間へ触れ廻つて歩いたところで、世間では決して其人を豪いと認めてくれるものでも無いのである。然るに青年子弟諸君のうちには、自分の技倆才能を世間が認めてくれぬからとて不平を起して騒いだり、又世間に名を知られたいからとて、己れは豪いぞ豪いぞと威張り散らして歩く者がある。それよりは、平素の修養によつて着実に実力を養成し、実行によつて着々効果を挙げるやうにするが可いのである。斯くさへすれば敢て求めずとも、其人は世間に知られるやうになるものである。この点は功名心の盛んな青年子弟諸君の篤と心得置くべきことで、孔夫子御教訓の趣旨も実に茲に存するのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)