19. 恩威は金銭と拳固
おんいはきんせんとげんこ
(15)-19
日本の支那に対する措置の如きも、先づ忠恕の精神を以て同国の上下に臨み、之を行ふに智略を以てさへすれば、良好の効果を挙げ得らるべき筈のものである。私は平素より支那問題に就ては深く斯の点を憂慮し、機会のある毎に外交の当路へも「支那に対するには何よりも先づ、忠恕の精神を以てするやうに……」と申入れて置くのであるが什麽も私の冀ふが如くにならず、忠恕の精神を欠いた智略のみを以て臨むことになり勝ちなので、ただ恩威を行はんとするにのみ流れ骨折つた割に結局効果が挙らぬ事になつてしまふらしく思へるのである。処世でも外交でも、根本は総て同じものである。忠恕の精神を以て臨まなければ、決して旨く円満に進行し自他共に悦ぶといふまでになれるもので無いのである。
忠恕の精神は単に支那に対する外交上に必要のものたるのみならず又米国に対する外交にも必要である。否な、国と国との国際関係には個人と個人との交際に忠恕精神を必要とする如く矢張みな忠恕の精神を要するものである。米国が日本に対して忠恕の精神を持し、日本が米国に対して又忠恕の精神を持つてさへ居れば、両国の国交は永遠に円満であり得べきである。何れの国と国との間に於ても、国交の破裂を見るに至るのは忠恕の精神に欠くのが常に原因になつて居る。国際の円満は相互の忠恕によつて始めて期し得らるるものである。
- デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)