デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一

19. 恩威は金銭と拳固

おんいはきんせんとげんこ

(15)-19

 恩威とは平たく謂へば、金銭と拳固との事である。忠恕の精神を実地に行ふ為には、甘くして他人に接したばかりでも駄目なもので、時には拳固を握つて見せ、大に威しつけてやる事が必要な場合もある。さればとて又、拳固を示して威しさへすれば天下の者が皆其威に恐れて、万事万端うまく進行してゆくといふものでも無い。時には、金銭を呉れて恩を衣せてやらねばならぬ場合もあるものである。かく金銭と拳固と、拳固と金銭を互ひ交ひに見せて、うまく事物の進行を謀る間に恩威が並び行はれて、智略が功を奏することになるものであるから、恩威を併せ行ふことも素より処世の上に必要であるが、恩威が行はれて居るだけで、其根本となるべき忠恕の精神を欠いて居つては、恰も下世話にいふ仏を作つて魂を入れぬやうなもので、折角行つた恩威が恩威の功徳を顕さず、結局労して功なきに至るものである。恩威をして十分の効果を挙げしむるものは実に忠恕の精神である。智略をして其効果を得せしむるものも亦忠恕の精神である。
 日本の支那に対する措置の如きも、先づ忠恕の精神を以て同国の上下に臨み、之を行ふに智略を以てさへすれば、良好の効果を挙げ得らるべき筈のものである。私は平素より支那問題に就ては深く斯の点を憂慮し、機会のある毎に外交の当路へも「支那に対するには何よりも先づ、忠恕の精神を以てするやうに……」と申入れて置くのであるが什麽も私の冀ふが如くにならず、忠恕の精神を欠いた智略のみを以て臨むことになり勝ちなので、ただ恩威を行はんとするにのみ流れ骨折つた割に結局効果が挙らぬ事になつてしまふらしく思へるのである。処世でも外交でも、根本は総て同じものである。忠恕の精神を以て臨まなければ、決して旨く円満に進行し自他共に悦ぶといふまでになれるもので無いのである。
 忠恕の精神は単に支那に対する外交上に必要のものたるのみならず又米国に対する外交にも必要である。否な、国と国との国際関係には個人と個人との交際に忠恕精神を必要とする如く矢張みな忠恕の精神を要するものである。米国が日本に対して忠恕の精神を持し、日本が米国に対して又忠恕の精神を持つてさへ居れば、両国の国交は永遠に円満であり得べきである。何れの国と国との間に於ても、国交の破裂を見るに至るのは忠恕の精神に欠くのが常に原因になつて居る。国際の円満は相互の忠恕によつて始めて期し得らるるものである。

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キーワード
恩威, 金銭, 拳固
デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)