デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一

16. 曾子の偉大なる人格

そうしのいだいなるじんかく

(15)-16

子曰。参乎。吾道一以貫之。曾子曰。唯。子出。門人問曰。何謂也曾子曰。夫子之道。忠恕而已矣。【里仁第四】
(子曰く、参や、吾が道は一以て之を貫く。曾子曰く、唯。子出づ。門人問うて曰く、何の謂ぞや。曾子曰く、夫子の道は忠恕のみ。)
 曾子とは曾参のことであるが、孔子教には、孔夫子の御弟子中の俊秀なる者十人を選んで、之を「十哲」と称する外に、なほ孟子、顔淵[、]曾参、子思の四人を選んで「四配」と称して尊崇し、孔夫子を御祀り申す時には、この四人を夫子の陪賓の如くに配して御祀り申上ぐる慣習がある。現に東京湯島の聖堂にも孔夫子に斯の四配を配して祀つてある。
 曾参、即ち曾子と申さるる方は、孔夫子の御弟子中でも殊に秀れた人材で、単に学問が深かつたのみならず、非常に親孝行な人であらせられたのである。「身体髪膚之を父母に受く」の句があるので有名な「孝経」の如きも、孔夫子が曾子に孝を説かれた時の御教訓である。曾子は実に、何かにつけて偉大なる趣のあらせられた大人物である。
 一日孔夫子はこの曾子を捉へられて、「吾が道は一以て之を貫く」と、禅宗の和尚さまの問答めける漠として捕捉し難いやうな言を発せられたのである。すると、曾子は僅に一言「唯」と答へられた。つまり「解りました」と曰つたのと同じである。傍に此の問答を聴聞致して居つた曾子の門人等は「さて〳〵不思議な事もあればあるものだ。大師匠の孔夫子は、我が説く所の道は多岐に分れて種々になつてるが之を貫いてるものが唯一つあると仰せられた丈けで、その一つの果して何者なるやをも仰せになつて居らぬのに、曾子が之を聞いて「わかりました」と答へられたのは実に妙だ」と孔夫子が御留守になつてから曾子に対ひ、「一体全体――その一つ――は何であるか」と質問に及んだのである。曾子の之に答へられたものが茲に掲げた章句の重要なる点である。

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デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)