10. 三条公は外柔内硬の質
さんじょうこうはがいじゅうないこうのしつ
(15)-10
徳川幕府の末に当り、朝廷は攘夷の御意嚮であつたのだが、幕府では容易に勅命を奉ぜぬので、什麽しても幕府を倒してしまはねばならぬといふことになつたのである。それには、宮内の制度が従来の如くであつては、勢力が微弱で駄目だといふので、これまで宮内に置かれてあつた政務官たる伝奏とか議奏とかいふ役目を廃し、代るに国事掛を以てし、三条公以下専ら其間に采配を振り、国事掛には尊王攘夷の精神勃々たる壮年血気の志士を主として集められたのである。三条公等の意は之によつて幕府の専横を制肘せんとするにあつたのだが、国事掛に集つて来た志士は、主に長州出身であつたので、軈て又、薩州の嫉視を受くるに至つたのである。
申すも畏れ多いことであるが、孝明天皇の御叡慮は其初め攘夷に在らせられたので、三条公等の計図も是処までは旨く進行したのであるが、その結果、余りに攘夷熱が昂まり過ぎて、攘夷倒幕党の勢力天下を風靡するを御覧ぜられては、流石、孝明天皇におかせられても、攘夷熱を余りに煽り過ぎたのに思召し気づかれ、畏れながら宸襟を悩ませらるることになつたものである。
幕府は主上に斯の思召しあるを看て取るや、長州が君側に勢力を揮ひつつあるに憤慨して嫉視を禁じ得なかつた薩州を旨く味方に懐き込み、幕府の勢力と薩州の勢力とを聯合さして朝廷より長州の勢力を駆逐し、幕府に対する朝廷の圧迫を脱せんとする計画を立て、攘夷の朝議を変更するまでになつたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)