デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一

2. 古稀祝賀の書画帖

こきしゅくがのしょがちょう

(15)-2

 私が東京瓦斯会社に推薦した方で、当今は橋本圭二郎氏の社長たる宝田石油会社に専務取締役を勤めて居られる福島甲子三氏は越後の人であるが、却々の敏腕家であると同時に、論語趣味の人である。実業の根柢には仁義道徳が無ければならぬものである事を、深く信じて居られる。それやこれやの関係から、私が明治四十二年に古稀七十の賀の祝ひを致した際、同氏は私に二巻の書画帖を祝つて贈り下されたのである。その書画帖には当代に名ある方々が色紙に御書き下された書画を纏めたもので、その筆者のうちには、既に故人になられた御方さへ四五人ある。その故人になられた御方の中には、徳川慶喜公も這入つて居られるが、慶喜公は斯の書画帖の為に題辞を御書き下されたのである。
 この書画帖の中に、先般故人になられた有名な洋画家の小山正太郎氏が、銀泥の色紙に画かれた絵が一枚這入つて居る。その図取が実に面白いもので、朱鞘の刀とシルクハツトと算盤と論語との四つを旨く配合して描いてあるのである。朱鞘の刀は、私が曾つて撃剣なども稽古したりなどして武士道の心得あることを表し、シルクハツトは私が紳士の体面を重んじて世に立つ心あるを表したものらしく思はれるが論語と算盤とは、私が商売上の基礎を論語の上に置くのを以て信念として居る事を表はして下されたものである。この書には猶ほ
「論語を礎として商事を営み、算盤を執つて士道を説く、非常の人[、]非常の事、非常の功」
なる句が書き加へられてある。
 私は斯の小山氏の御画き下された図を拝見し、非常に面白く感じたのでその後、当時の東宮侍講であらせられた三島中洲先生が自宅を御訪ね下された時に之を御覧に入れると、同先生も曾て「義利合一説」なるものを御起草になつたことがあるといふので、小山氏の絵を見られてから、特に私の為に「論語算盤説」の一文を御起草になり、態々私の自宅まで御持ちになつて私に御贈り下されたのである。

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キーワード
古稀, 祝賀, 書画帖
デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)