デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一

4. 西原亀三への序文

にしはらかめぞうへのじよぶん

(15)-4

 朝鮮に事業を営んでる方に西原亀三氏といふのがある。先般故人となつた朝鮮銀行総裁市原盛宏氏の門下で、寺内総督なぞとも懇意の間柄であるらしいが、この人が四月中「商人の本旨」なる小冊子を著はし、商人は其精神の根柢を道徳の上に置かねばならぬことを説かれて居る。私にも一本を贈られ。その書を読んで起した感想を、序とか跋とかいふやうなものに書いて呉れとの御頼みであつたから、少しばかり長文のやうではあるが、平素懐く所の意見を敷衍して、四月十七日に左の如き蕪文を起草し、それに三島先生の一文を添へて送つて置いたのである。
 正経の業務に就き、適当の手段によりて収め得たる個人の利殖は素より公益と択ぶ所なくして、是れやがて道徳経済の一致を意味するものなり。されば農夫の田圃に耕すも、工人の百貨を作るも、要は其収むる処の利益が適当の手段に依るにあり。独り農工商に於てのみ然るにあらず。凡そ政治、軍事、法律、教育等各種の職に在る者も其の従事する処によりて収得する貨財は、皆以て同一といふを得べし。然るに、商人にありては、動もすれば其本旨を誤るものあるは、是れ其業務の常に邪路に誘惑せらるる機会の多きが為めにして、甚しきは貪慾に陥り、終に道徳経済相背馳するに至る。慎まざるべからざるなり。本篇の趣意、能く公益私利の分るる所を説きて商人の本分を明晣にせられしは、頗る適切の言といふべし。余曾て論語算盤といふ一説ありて、常に道徳経済の義を子弟に訓示せしに偶々中洲三島先生の聴く処となりて、為めに一篇の文章を寄せられたれば、茲に附録して以てこれを送る。若し夫れ本篇の考証となるを得ば幸甚。
   大正五年丙辰四月
         相州湯河原客舎に於て
                 青淵渋沢栄一識

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キーワード
西原亀三, 序文
デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)