デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一

7. 商売は商戦に非ず

しょうばいはしょうせんにあらず

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 私は之を聴いてそれは誠に殊勝な結構な心掛けであると存じたので直に野村と面会する事に致し、同人は私の面前で以後相場に手を出さぬ事を誓つたのであるが、それは丁度渡米実業団の一行に加はつて私が渡米する前の明治四十二年九月頃であつたやうに記憶する。同人は斯く私に誓言をして置きながら、猶且相場は廃められなかつたものと見え、私が米国から帰つて来て、同人の近況を聞いて見ると、折角儲けた四十万円の金銭を私の留守中に総て損つてしまつたとの事であつた。相場や何かによつて一攫千金で儲けた盛つて入つた金銭は、総て皆斯くの如く又盛つて出るものである。こんなにして野村が四十万円皆喪くしてしまふ位であつたならば、せめて一万円だけでも養育院に寄附して置いてくれれば、その功徳が末代に残つたのであるが、盛んな時には又さういふ気になれぬものだから実に遺憾の次第である。
 私が相場で金を儲ける事を嫌ひ、投機仕事に反対するのは、投機仕事は商売の精神に違背するからである。商売の徳は売る者も買ふ者も共に利益を得て悦ぶところにある。
 仮令ば、甲が乙から十円で買つた物を、丙に十三円で売つたとすれば、甲は乙に十円で買つてもらつたのを悦び、乙は丙に十三円で売つて三円の利益を得たのを悦び、丙も亦十三円で買つたのを悦び、三方が悦んで其の間に苦痛を感ずる者は一人もないのである。然るに、投機になるとさうはゆかぬもので、必ず損して悲しむ者が現はれる。買つて利益を受けたものがあれば、之に売つたものは必ず買手に儲けられた丈の額を損することになるのである。随つて投機は商売でないと云ふ事になる。能く世間では商業は平和の戦争であると謂つたり、或は「商戦」等の文字を用ひたりするが、商売は決して戦争で無いのである。戦争には必ず勝敗があつて、一方が勝つて利益すれば、一方が損害を受くるに決まつたものである。若し五分五分で引分けになれば両方共に損害を受けることになる。然し、商売では投機を除けば決して取引上から損したといふものは一人もなく、何方に向いても利益を得て悦んでる者ばかりになる。これが商売の戦争と全く其根本に於て違ふところである。故に私は商売の事を云つたり書いたりする時に、「平和の戦争」とか、「商戦」とか申す言葉を用ひたくないものだと思つて居る。

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キーワード
商売, 商戦, 非ず
デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)