デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一

22. 事業を義に喩る

じぎょうをぎにさとる

(15)-22

 私は、如何なる事業を起すに当つても、又如何なる事業に関係するに当つても利益を本位にするやうな事は無いのである。これ〳〵の事業は起さねばならぬものであり、盛んにせねばならぬものであると思へば之を起し之に関係し、その株を持つことにするものである。私は何時でも事業に対する時には、之を利に喩らず義に喩ることにして居る。まづ、道理上起すべき事業であるか、盛んにすべき事業であるか何うかを稽へ、利損は第二に稽へる事にして居る。
 事業を起したり盛んにしたりするには、多くの人々より資本を寄せ集めねばならず、資本を集めるには事業より利潤を挙げるやうにせねばならぬもの故、事業を起すに当つても、素より利潤を全く度外視するわけにゆかず、利潤の挙るやうにして事業を起し或は盛んにする計画を立てねばならぬに相違ないが、事業には必ず利潤の伴ふものと限つたもので無い。利益本位で事業を起したり、之に関係したり、其株を持つたりすれば、利潤の挙らぬ事業の株は売り退いてしまふやうになつたりなぞして、結局必要なる事業を盛んにすることも何もできなくなるものである。
 事業の発達にも色々の径路がある。或る事業は、急速に発達して非常なる利潤を挙げ、忽ちの中に市価が払込額の二倍にもなるやうな場合もあるが、或る事業は漸次に発達して年と共に利潤を挙げるやうになるものである。然し或る種の事業は又容易なことで利潤の挙らぬものである。仮令ば中日実業会社の事業の如き、私は必要なる事業であると信じたから之を起し、自分でも大分その株を持ち、他人にも亦持つて頂いたのであるが、大正三年八月の設立以来、今日まで約二ケ年を経過しても未だに損ばかりで利潤が挙らず、出資者に利益を配当し得られぬのである。
 当初如何に利益を挙げる計画で創めても、中日実業会社の如く利益の挙らぬ事業の例は決して少く無い。然るに事業を総て利に喩つて起したり盛んにしたりしようとすれば、斯く利潤を急速に挙げ得ぬ場合には失望したり厭気を起したりするやうになり、為に国家に必要なる事業も、起らなかつたり盛んにならなかつたりする恐れがある。故に私は事業は之を利に喩らずして義に喩り、国家に必要なる事業は利益の如何を第二とし、義に於て起すべき事業ならば之を起し、その株も持ち、実際に臨んでは利益を挙げるやうにして、其事業を経営してゆくべきものだと思つて居る。私は総て斯の精神で種々の事業を起したり之に干与したり、其株を持つたりして居るもので、斯の株は昂騰るだらうからなぞと稽へて、株を持つた事は未だ曾て無い。

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キーワード
事業, , 喩る
デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)