デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一

20. 目前の利害問題

もくぜんのりがいもんだい

(15)-20

子曰。君子喩於義。小人喩於利。【里仁第四】
(子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。)
 君子は、何事に臨んでもそれが果して義しくあるか、或は義しく無いかと云ふ事を稽へ、それから進退の如何を決するもので、義しきに従つて所置するを主義とするのだが、小人は利害を目安にして進退を決し、利にさへなれば、仮令それが義に背くことであらうと、そんなことには一向頓着せぬものである。つまり、万事を利益本位から打算するのが小人の常で、正義の標準に照らし万事を処置するのが、君子の常である。故に同じ一つの事柄に対しても、小人は之によつて利せん事を思ひ、君子は之によつて義を行はんことを思ひ、其間の思想に天地雲泥の差があるとは、孔夫子が茲に掲げた章句の中に説かれた御趣意である。
 物事を利に喩つた方が利益であるか、将た義に喩つた方が利益であるか――この問題は一寸解決の難かしいもので、利に喩るのが必ずしも其人の不利益にならぬ場合がある。否寧ろ、其人に利益になる場合が無いでも無い。少くとも目前の利益丈けは確実なる場合がある。私は之に就て実際上に経験した一例を持つて居るから、茲に談話致して置かうかと思ふ。
 鉄道は、明治三十九年三月三十日に公布せられた法律によつて、国有といふことになつたのだ、その買収代金は鉄道債券で政府より買収会社に交附したものである。その債券は追つて鉄道公債に引換へられることになつて居つたのだが、まだ債券が本当の公債にならなかつたので、三十九年の暮から四十年にかけて、債券の市価は著しく下落したものである。当時、この鉄道債券を買ひ込んで置きさへすれば将来は必ず大に儲かるに決定つてたものである。

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デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)