デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一

14. 道理に照して行へよ

どうりにてらしておこなえよ

(15)-14

子曰。放於利而行。多怨。【里仁第四】
(子曰く、利によりて行へば、怨み多し。)
 茲に掲げた章句を説明する為には、敢て一々実例を引照して申述ぶるまでも無く、ただ自分の利益になりさへすれば、他人は如何なつても関心はぬといふ処世振りで世の中を渡つて居る人が、世間から種々と怨みを受けて居る事実は、殆ど枚挙に遑あらぬほど其処此処に沢山ある。我利一点張りで世間に対し、自分の利益を謀る事にのみ汲々たる人で、世人の怨みを受けて居らぬ者は、殆ど一人も無いと謂つても過言ではあるまい。
 かく、自分の利益のみを謀る事が、世人より怨恨を受くる原因になるものだとしたら、人は何を目安にして行動するのが宜しからうか、他人の利益を謀る事を目安にして然べきものだらうか――これは実際上、世に処するに当つて、多くの人々の胸中に湧く惑ひである。
 物事は何んに限らず、道理に照らして其是非を判断するのが、最も安全な法である。自分の利益のみを目安にして行動すれば、怨恨を世間より受けるやうになるし、さればと謂つて、他人の利益をのみ目安にして行動すれば、徒に宋襄の仁に流れて、自分を亡してしまふやうにならぬとも限らぬ。依つて多少他人が困るやうな行動に出でねばならぬ場合には、その行動が果して道理に合ふや否やを先づ稽へ、道理に合ふ処置であると信じたら、断じて決行するが可いのである。一例を挙げて云へば、私は銀行業を営む者であるから、銀行業者として或る抵当物を担保に取つて貸金をする事がある。金を借りた債務者が返金を致さぬ場合には、止むなく斯の担保に取つて置いた抵当物を処分せねばならぬことになる。その場合、抵当物を処分してしまへば、先方は困るに相違無いが、銀行業者の斯の措置を、利によつて行つたものだと謂ひ得べきものでも無く、又斯く致したからとて、銀行業者は世間から怨恨を受くる筈のものでも無いのである。何故なれば、銀行業者の斯の措置は道理に合つたことで、毫も道理に外れた所が無いからである。

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デジタル版「実験論語処世談」(15) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.73-88
底本の記事タイトル:二一七 竜門雑誌 第三三九号 大正五年八月 : 実験論語処世談(一五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第339号(竜門社, 1916.08)
初出誌:『実業之世界』第13巻第13-15号(実業之世界社, 1916.06.15,07.01,07.15)