デジタル版「実験論語処世談」(16) / 渋沢栄一

1. 父の道を改めぬ意

ちちのみちをあらためぬい

(16)-1

子曰。三年無改於父之道。可謂孝矣。【学而第一】
(子曰く、三年父の道を改むる無きは、孝と云ふべし。)
 支那では、父母の喪を三年としたものである。孔夫子は茲に掲げてある章句に於て、喪中の三年間だけ、仮令先考の遺した家法に気に入らぬ点があつたからとて、容易に之を改むるべきもので無い――それが孝子の道であると教へられたのである。然し三年とかつきり年限を切られたのには、さまで深い理由があるのでは無い。ただ支那では父母に対する服喪期間を三年としてあるからの事で、年数などは其国々の国情に応じ伸縮して然るべきものである。のみならず、如何に先考の遺した家道であるからとて、周囲の事情が先考の死後直ぐに之を改むるを必要とする場合には、改むるのが却つて孝子の道である。徒に孔夫子の説かれた章句の文字にのみ拘泥して、先考の遺法は理が非でも三年間は改めてならぬものだといふやうな意味に解釈すべきでは無い。須らく孔夫子が説かれた章句の精神を酌み取り、之を遵奉するやうに致すべきである。
 然し又世の中には、先考の墳墓の土が未だ乾きもせぬうちから、兄弟の間で遺産争ひを致したり、先考が粒々辛苦の汗を流して購入した田地田畑を売り払つて、勝手気儘な馬鹿遊びに之を費消したり、投機に手を出して見たりなぞするものがある。孔夫子は斯る不心得の輩が生ずることを憂へられて、斯の章句にある如き教訓を遺されたものと思はれる。要するに論語にある斯の章句より学ふべき処は其精神で、決して其形式では無い。先考の遺法は、三年の喪中之を改めぬといふほどの精神で居りさへすれば、子として履むべき道を過る如き事も無く、孝を遂げられるものだと説かれたのである。之に就て私の実験した事を少しばかり談話して置かう。

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デジタル版「実験論語処世談」(16) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.89-94
底本の記事タイトル:二一九 竜門雑誌 第三四〇号 大正五年九月 : 実験論語処世談(一六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第340号(竜門社, 1916.09)
初出誌:『実業之世界』第13巻第16号(実業之世界社, 1916.08.01)