デジタル版「実験論語処世談」(16) / 渋沢栄一

3. 父の死後家業に就て惑ふ

ちちのしごかぎょうについてまどう

(16)-3

 私が郷里に帰つて父の病床に侍した時には、父は余程脳を冒されて居つたものと見え、昏睡状態に陥り、人事不省であつたのだが、幸にも少時昏睡状態より醒めた時があつたので、私は後事に関する遺言でもあらば聞いて置かうと存じ、それと無く「私が居るから何も御心配になる必要は無い、然し御話でもあらば伺つて置きませう」と暗に遺言を促すと「御身さへ居れば万事安心である。私は別に心配する事も何も無い、又、話して置かうと思ふ事も無い」と申されたので、その上強ひて遺言を迫るわけにも参らず、そのまゝになつて、父は歿後の家業は如何するかなどといふ事に就ては一切決定せず、其月の廿二日六十三歳で歿せられたのである。
 父に歿くなられて見ると、直ぐ起る問題は生家の商売の藍玉家業を如何処分したら可からうかといふことである。この時に直ぐ私の頭に浮んだものは論語にある茲に掲げた「三年父の道を改むる無きは孝と謂ふべし」の章句であつた。父が歿くなられたからとて、直ぐ父が楽しみにして営んで居られた商売を廃してしまつては、孔夫子が「三年父の道を改むる無きは孝と謂ふべし」と説かれたところに反くやうに思はれる。然し、藍屋商売は総て懸売になるので、決して手軽な商売では無い。父であつたればこそ旨く経営されたのだが、妹の婿では兎ても遣つてゆけさうに、私には思はれなかつたのである。依て此の際ナマジヒに藍屋商売を継続してゆくことにしては、家名を堕し先考の名にも傷をつけるやうな事にもなつたりなぞして、孝行の心算で為る所置が却つて不孝になりはせぬかと考へたので、私は生家の後を継ぐ妹婿に向ひ、断然藍屋を廃業るようにと勧めることにしたのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(16) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.89-94
底本の記事タイトル:二一九 竜門雑誌 第三四〇号 大正五年九月 : 実験論語処世談(一六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第340号(竜門社, 1916.09)
初出誌:『実業之世界』第13巻第16号(実業之世界社, 1916.08.01)