4. 藍屋の廃業
あいやのはいぎょう
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然し先考の代から紺屋の方へ貸になつてる藍玉の懸売代金がある。廃業と同時に之を回収せねばならぬのであるが、之を急に回収しようと、如何に燥つて見たからとて、それは迚もできるものでは無い。依て其処は「三年父の道を改めざるは、孝と謂ふべし」と孔夫子の説かれた所に随つて、何でも急がずゆる〳〵無理をせず気永に回収することにしたら宜しからうと私より妹の婿に勧め、妹の婿も亦その気になつて、無理な所のないやうにゆる〳〵回収したのであるが、斯くして手に入つた資金で、私は第一国立銀行の株を生家に持たせるやうにしたのである。ところが仕合と第一銀行の株は高くなつて儲かるし、一方に於て又藍玉の商売は独逸の人造藍が盛んに輸入せらるるやうになつた結果、段々衰へることになつたので、妹の婿は私の勧めに随ひ、藍屋を廃業た事を非常に悦んで居られる。若しも父の歿くなつた時に藍玉は先考の家業であるからとて猶ほ之を継続して居つたら、或は父より譲受けた家産も、今頃は業に已に潰してしまつたかも知れぬなどと、妹の婿は時折思ひ出しては今でも私に話すのである。されば私の生家の如き場合に於て、先考の遺した家業を改めたといふ事は決して孝道に反いたわけにならず、却て孝を完ふしたわけにならうかと思ふのである。三年父の道を改めてはならぬと孔夫子の説かれた精神は、父が歿くなつたからとてこれで既う喧しく小言をいふ者も無いからなぞと、我儘気儘な真似をしてはならぬといふところにある。
- キーワード
- 藍屋, 廃業
- 論語章句
- 【学而第一】 子曰、父在観其志、父没観其行。三年無改於父之道、可謂孝矣。
- デジタル版「実験論語処世談」(16) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.89-94
底本の記事タイトル:二一九 竜門雑誌 第三四〇号 大正五年九月 : 実験論語処世談(一六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第340号(竜門社, 1916.09)
初出誌:『実業之世界』第13巻第16号(実業之世界社, 1916.08.01)