デジタル版「実験論語処世談」(16) / 渋沢栄一

4. 藍屋の廃業

あいやのはいぎょう

(16)-4

 そこで私は妹婿に対ひ、「藍屋商売も懸売になるもので却々面倒な事業だから、貴公では何うも斯の業を継いで繁昌さしてゆく事は六ケしさうに思はれる。あれは、先考にして始めてできた事業である。或は私ならば、斯の業を継いで繁昌さしてゆけるやうになるかも知れぬが、今更私が故郷に帰つて親ら藍玉の売買を経営するわけにも参らぬのみならず、藍屋といふ商売が今後も果して従来の如く繁昌するや否やさへ疑問である。貴公は私の観る所では、斯の商売に適当せぬ仁らしいから、藍屋は綺麗に廃業してしまはれることになされたら宜しからう。藍の売買に用ひて来た資金は、私が東京で利殖してあげるやうにする。お前等は田畑の耕作から丈け収益を挙げるやうにしなさればそれで宜しい」と申したので、婿も妹も私の勧めに従ひ、父の死後は藍屋を廃業してしまつたのである。
 然し先考の代から紺屋の方へ貸になつてる藍玉の懸売代金がある。廃業と同時に之を回収せねばならぬのであるが、之を急に回収しようと、如何に燥つて見たからとて、それは迚もできるものでは無い。依て其処は「三年父の道を改めざるは、孝と謂ふべし」と孔夫子の説かれた所に随つて、何でも急がずゆる〳〵無理をせず気永に回収することにしたら宜しからうと私より妹の婿に勧め、妹の婿も亦その気になつて、無理な所のないやうにゆる〳〵回収したのであるが、斯くして手に入つた資金で、私は第一国立銀行の株を生家に持たせるやうにしたのである。ところが仕合と第一銀行の株は高くなつて儲かるし、一方に於て又藍玉の商売は独逸の人造藍が盛んに輸入せらるるやうになつた結果、段々衰へることになつたので、妹の婿は私の勧めに随ひ、藍屋を廃業た事を非常に悦んで居られる。若しも父の歿くなつた時に藍玉は先考の家業であるからとて猶ほ之を継続して居つたら、或は父より譲受けた家産も、今頃は業に已に潰してしまつたかも知れぬなどと、妹の婿は時折思ひ出しては今でも私に話すのである。されば私の生家の如き場合に於て、先考の遺した家業を改めたといふ事は決して孝道に反いたわけにならず、却て孝を完ふしたわけにならうかと思ふのである。三年父の道を改めてはならぬと孔夫子の説かれた精神は、父が歿くなつたからとてこれで既う喧しく小言をいふ者も無いからなぞと、我儘気儘な真似をしてはならぬといふところにある。

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デジタル版「実験論語処世談」(16) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.89-94
底本の記事タイトル:二一九 竜門雑誌 第三四〇号 大正五年九月 : 実験論語処世談(一六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第340号(竜門社, 1916.09)
初出誌:『実業之世界』第13巻第16号(実業之世界社, 1916.08.01)