デジタル版「実験論語処世談」(14) / 渋沢栄一

5. 孔耶両教の相違点

こうやりょうきょうのそういてん

(14)-5

 ハインヅ及ワナメーカー両氏より、何故私が耶蘇教信者でも無いのに、万国日曜学校大会のことに就き斯くまで幹旋するかとの質問を受け、之に対し私が孔夫子教の立場より国民道徳向上の一助にもならうかと、日曜学校大会を日本に開く事について幹旋[斡旋]しつつある次第を答へたことは、前に談話した中に詳しく述べてあるが、ワナメーカーの如き、私と談話をした始めの間は耶蘇教を信ぜぬ東洋人には到底道徳の事なぞは解らぬもの、信念なぞといふものの無いものと心得居られたらしく、談話の間に稍〻当方を侮辱したやうな意味の言葉をすら漏らした程である。然し、私が物質文明の進歩と共に精神文明の必要なる所以を説き、目下の急務は道徳上の向上を計るにあるを論じ、私の奉ずる孔子教も耶蘇教と等しく、一身一家の利益のみを念とせず、他人の利益幸福をも図らねばならぬと教へるものであると述ぶるや、漸く私の意のある処を諒解し、両氏とも其期するところが私と同一であるのを知つて、大いに悦ばれたのである。要するに古今東西何れの時代何れの邦にあつても、人は自分の利益幸福のためにのみ働かず、他人の利益幸福の為にも働かねば人は決して栄えるもので無い。此の点に於て私もハインヅもワナメーカーも皆同意見である。青年子弟諸君は、篤と此の消息を心得られて、私利私慾にのみ走らず、他人の為国家の為にも力を尽すやうにして戴きたいものである。
 ワナメーカーが、その際、私に改宗して耶蘇教になれよと勧め、私が之に対し何の返答をも致さず帰つた事は――これも、私が帰朝後の談話中に申述べ置いた処であるが、私は最近に於て、その際の改宗勧告に対する返辞の手簡をワナメーカーに送つたのである。その趣旨は――私も今では既に相当の老人であるから、これから強ひて事々しく耶蘇教に改宗するでもあるまい。貴卿の信奉する御宗旨は、「己れの欲する処を他人に施すべし」と教へるので、貴卿が其の可しと信ずる耶蘇教を私へ御勧めになるのも尤もの次第だが、私の信ずる孔子教では「己れの欲せざる処を人に施す勿れ」と教へる。こゝに貴卿と私との立場に相違がある――といふやうな意味のもので、私より送つた斯の手簡を受取つたワナメーカーは、果して如何な感じを起して居るだらうか知りたいものである。

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デジタル版「実験論語処世談」(14) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.60-66
底本の記事タイトル:二一三 竜門雑誌 第三三八号 大正五年七月 : 実験論語処世談(一四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第338号(竜門社, 1916.07)
初出誌:『実業之世界』第13巻第10,11号(実業之世界社, 1916.05.15,06.01)