デジタル版「実験論語処世談」(14) / 渋沢栄一

1. 毫も蓄財に意無し

ごうもちくざいにいなし

(14)-1

 私は是まで談話致したうちにも申述べ置ける如く、初め郷里を出る時には、眼中ただ国家の政道あるのみで、何が何んでも幕府は之を倒してしまはねばならぬと考へ、自分とて又大名に成り得ぬまでも、兎に角国政の要路に立たうといふぐらゐな国士の気分に充ちてたので、その後、周囲に起る事情の変動に余儀なくされて一橋慶喜公に仕へ、更に王政復古の御親政になつて以来、朝廷に仕へる身となり、続いて当初の所志とは打つて変つた実業界に没頭するに至つても、政治にこそ思ひを絶ちはしたれ、期する処は国家の盛運を招来せんとするにあつたので、一身の利害なぞは、素より念頭に置かなかつたのである。随つて身は実業界にあつても財産を蓄めようなぞとの気を起した事は一度もなく、死んだ跡のことなど一切考へず、子孫の為に美田を買ふを深く恥辱とし、宵越しの金銭なんか使はぬといふほどの気前であつたものである。
 ただ経済界に立つて働くには、無資産では世間から信用せられず、それ貸して呉れ、又も貸して呉れと、自分が生活の資を他人に仰ぐやうでは駄目だと考へたので、経済界に立ち他人の金銭を預けられたり委任されたりするに足る信用を繫ぎ得る丈けの蓄財を致したるに過ぎぬのである。それが私の家産である。今日とても、それ以上に財産を蓄めようなぞとの気は露些かも無いのである。当初から財産を蓄める気になりさへしたら、或は今日までに大財産家に成れて居つたのかも知れぬが、其気にならずに通して来たので、今日の私は貧乏人より少しばかり財産があつて、それで経済界に於ける信用を維持し、国家の為や他人の為に、多少自由に働き得るといふに過ぎぬのである。子孫のことを思はず、家系のことなぞをも心に懸けなかつたものだから、素より家憲などを作製して置かなかつたのであるが、それでも将来困るだらうと思つて、子孫のことなぞに付多少考慮を費すやうになつたのは、穂積陳重氏を婿にしてから以後のことで、同氏より種々注意を受けた結果である。

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蓄財,
デジタル版「実験論語処世談」(14) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.60-66
底本の記事タイトル:二一三 竜門雑誌 第三三八号 大正五年七月 : 実験論語処世談(一四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第338号(竜門社, 1916.07)
初出誌:『実業之世界』第13巻第10,11号(実業之世界社, 1916.05.15,06.01)