6. 何故の道徳算盤違背
なにゆえのどうとくそろばんいはい
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然し、星移り年変り、年代が経過して文明の進歩すると共に、教へる人と行ふ人との間に分業の劃立を見、実行の人必ずしも仁義道徳の教師ならず、仁義道徳の教師必ずしも実行の人ならず、その間に何の聯絡もつけずに、実行の人は仁義道徳を念頭に置かず、仁義道徳の教師は実生活を考慮せず、互に自分勝手な気儘な事ばかりを教へたり行つたりするやうになつたので、遂には今日の如く仁義道徳と金儲の算盤との間に又なき溝壑を生じ、互に相違背するものであるかのやうに世間からも両者を視るまでになつたのである。この傾向は、孔夫子が政道の実際に当る事が能きず、たゞ教へるのみの人として終られてしまつたのが抑〻の発端で、孔夫子の時代頃より仁義道徳を説く人と、実際の世間に当つて経営する人とは別々のものになつて来たかの如くに思はれるのである。
この傾向は宋朝に入るに及んで殊に甚しく、周惇頤、張横渠、二程子の諸家其他の儒者現れ、日常実際の処世法よりも、寧ろ却つて性を説き理を論ずるに重きを置き、道徳論は徒に思索を弄ぶ倫理哲学の如きものになつてしまひ、人間日常の処世に何の関聯をも存せざるの観を呈するに至つたのである。この弊は朱子の時代に至つて更に其極限に達し、実際の活用よりも理論に走るを専らとしたのであるが、朱子自身はその説くところを実践躬行し、自ら律する頗る厳、教育を振興して人間実生活の向上を計らんとするに意を致されたかの如くに見受けられる。
- デジタル版「実験論語処世談」(14) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.60-66
底本の記事タイトル:二一三 竜門雑誌 第三三八号 大正五年七月 : 実験論語処世談(一四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第338号(竜門社, 1916.07)
初出誌:『実業之世界』第13巻第10,11号(実業之世界社, 1916.05.15,06.01)