デジタル版「実験論語処世談」(14) / 渋沢栄一

4. 万国日曜学校大会

ばんこくにちようがっこうたいかい

(14)-4

 私が昨年渡米致したる際に、日本に万国日曜学校大会を開催する件に関し、米国に於て専ら斯の件の肝煎を致し居るピツツバーグの缶詰王ハインヅ及びフヰラデルフヰアのデパートメント・ストア王ワナメーカーの両氏に面会せる顛末は、帰朝後の談話中にも詳細申述べ置ける如くであるが、欧洲戦争でも終結したら日本で万国日曜学校大会を開催するように致さうとの議は、一昨年瑞西に開かれた同大会で決せられた事なさうで、耶蘇教側は熱心に其の実現を希望し、大隈首相なぞも之に同意して開かせる事にしようとの意見を持たれて居る。然し愈〻日本に於て開催することになれば、米国からばかりも一千人の来会者があり、それに欧洲からの二千人を加へると総計三千人許りの来会者を見る予定である。之れ丈け多数の外国人に一時に押しかけられたんでは、折角日本に万国大会を開いても、第一に来会の外国人を悉く収容し得る丈けのホテルの設備が無い。又、三千人の多数を一堂に集め得る丈けの会堂も無い。麺麭だとか牛乳だとかいふものも、三千人の来会者をして充分満足せしめ得るまでに供給し得らるるや否やさへ疑問である。
 殊に万国日曜学校大会の来会者には、男子よりも婦人が多いといふことである。婦人は何処の国でも同じ事で、却々取扱方の六ケしいものである。それ等の人々が大会を終へて各其本国へ帰つてから、日本に往つて見たが、碌々眠ることもできず、パンも噛れず、牛乳も飲めなかつたなぞと、土産話の序に言ひ伝へられでもしたら、折角骨を折つて万国大会を日本に開いても、之によつて日本を紹介する便を得るどころか、却つて従来贏ち得た日本の評判までも悪くする事になる。それでは、甚だ困るから、日本に万国大会を開く事だけは御引受するが、来会者の数を制限して成るべく少数とし、又来会者は之を買切りの汽船に搭乗せしめて、日本来着後もホテルに宿泊せず、其汽船を宿泊所とし、そこから東京の大会に出席するやうに取計つてもらいたいものだといふのが、私よりハインヅ及びワナメーカーの両氏へ依頼に及んだ件である。これに対して、両氏とも承諾の旨を答へられたが、同時に又私共の間には、いろ〳〵と道徳上に就ての談話もあつたのである。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(14) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.60-66
底本の記事タイトル:二一三 竜門雑誌 第三三八号 大正五年七月 : 実験論語処世談(一四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第338号(竜門社, 1916.07)
初出誌:『実業之世界』第13巻第10,11号(実業之世界社, 1916.05.15,06.01)