デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一

1. 本を忘れ末に趨る

もとをわすれすえにはしる

(56)-1

 論語の順序から申せば、今度は郷党篇に移るのでありますが、前回にも申述べたやうに、郷党篇は私の述べる実験論語としては余り適例がありませぬから、之を省いて次の先進篇に移ります。尤も郷党篇は孔子平日の言行挙動を詳かに記したるものであつて、前の諸篇に於て孔夫子の言論を聴き、而して此の篇を読めば、容貌挙動髣髴として目前にあるが如く、親しく聖人に接して其の教へを受くるの思ひがあるのであります。されば学者としては之れを講義する事は勿論必要なのでありますが、元来私の実験論語処世談は、現代の人々が直ちに実行し得らるる事柄、否実行すべき教訓に就て私自身の実際に経験した事や、又親しく見聞した事抔に基いて御話するのでありますから、郷党篇は此の点から見て余り必要でないやうに思ひます。先進篇に入るに当つて一応之れを御断りを致して置きます。
子曰。先進於礼楽。野人也。後進於礼楽。君子也。如用之。則吾従先進。【先進第十一】
(子曰く。先進の礼楽に於けるは野人なり。後進の礼楽に於けるはは君子なり、如し之を用ふれば、即ち吾は先進に従はん。)
 周の時代は文学が頗る盛んであつたから、周末には礼楽が徒らに形式に流れると云ふ嫌ひがあつた。即ち昔の礼楽は質朴にして文飾足らず、恰かも田舎人の如きものであつた。然るに孔子の時代に至りては文飾余りありて外観の美なること殆んど比較にならぬ程であつたが、之と共に誠実の意を欠き、所謂其の質に於て遥かに劣る処あつた。元来礼楽は質に重きを置く可きもので、文飾は従であるにも拘らず、徒らに形式に趨つて本を失して居るので、孔子は精神的方面を尊まれて此の言があるのである。
 礼楽とは違ふが、明治の初年に於ては法律、規則等は甚だ雑駁にして、元より我が国古来のものではなく、さればと言つて支那ともつかず、西洋ともつかず、或は之れを折衷し、或は直訳的に之を鵜呑みにしたものであつた。之れに反して今日に於ては大に諸般の施設の進歩せると共に、法律、規則等は面目を一新して先づ具備して居るとは言ひ得る。然らば精神的方面はどうであるかといふに、甚だ形式的の事は整うて居るけれども、精神的方面に至りては寧ろ銷磨して居ると言ひ得ると思ふ。此所が是非の分れる処であつて、啻に礼楽と言はず法度と言はず、総てが用ひる人の心を深く用ふ可きであると思ふ。
 今日は、総ての法度が能く具備して居るが、質の方面、即ち精神に至つては寧ろ維新当時に劣りはすまいか。維新当時は総ての文物制度が今日より見れば殆んど隔世の感がある程整はなかつたのであるが、精神が確かりして居つて献身的であつたから、却つて宜しかつたやうに思ふ。之れに比較すると、今は形式は整つて居るけれどもヌケ殻の様な感がある。孔子の言、深く味ふ可きではあるまいか。

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デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.467-471
底本の記事タイトル:三三一 竜門雑誌 第四〇八号 大正一一年五月 : 実験論語処世談(第五十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第408号(竜門社, 1922.05)
初出誌:『実業之世界』第18巻第8,9号(実業之世界社, 1921.08,09)