デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一

8. 文字の学問でなく生きた学問をせよ

もじのがくもんでなくいきたがくもんをせよ

(56)-8

季康子問。弟子孰為好学。孔子対曰。有顔回[者]好学。不幸短命死矣。今也則亡。【先進第十一】
(季康子問ふ。弟子孰れか学を好むと為すやと。孔子対へて曰く、顔回なる者有り学を好む。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。)
 此の問答は既に前の篇にも出て居るから重複になつて居るが、只前は哀公の問にして、茲には季康の問となつて居り、答語も前者には詳かであつて、後者には比較的簡明に述べてある。蓋し本章は、顔回の学を好むを称められたのであつて、併せて其の短命に終つたのを惜しまれたのである。顔回の事に就ては前にも屡〻述べた事があるが、平生力を根本に用ひ、徳行を以て学とし務めて私心に克つといふ、真に学を好むの人であつた。事の怒る可きに遇へば之れを怒るも、程度を越えて他に怒を移すことなく、又時として過失なきに非ざるも、一度過ちたる事は之れを改めて再び過つことがなかつた。真に学を好む効験は実に斯くの如くであつたのである。
 今は昔と異つて文化の程度が非常に発達して居り、立派な学者も沢山居る。けれども一般に学問は学問、行ひは行ひといふ風に其の学んだ処と行ふ処とが違つて居る様に思ふ。殊に徳行といふ点に就て欠くる処が多い様である。所謂一般に余りに利己主義に奔り過ぎてゐる。之では真の学問といふ事は出来ない。謂はば死学問である。前章でも言つた通り、一つの宝を得る為めに平気で百の嘘を言ふ様な人の尠くないのは誠に遺憾であると思ふ。私は此の機会に於て真の学問、生きた学問をされん事をお奨めする。

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デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.467-471
底本の記事タイトル:三三一 竜門雑誌 第四〇八号 大正一一年五月 : 実験論語処世談(第五十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第408号(竜門社, 1922.05)
初出誌:『実業之世界』第18巻第8,9号(実業之世界社, 1921.08,09)