デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一

5. 「孝」に就て親の理解が必要

こうについておやのりかいがひつよう

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 前回に於て孝といふ事に就て少しく述べたが、引続き孝に就て御話をしようと思ふ。之れに関して、私自身が実際の経験を有して居り、多少参考となるだらうと思ふから其の実際談を申し上げる。私の家は元来農を営んで居つたので、私も少年の時代は父の業を手伝つて農業と藍の商売に従つて居つたのであるが、其後大に感ずる処あつて発奮し、親の膝下を辞して江戸に出たのであつた。勿論私の出京に就ては親も反対であり、親戚にも反対者があつたのであるから、私の出京は謂はば親の意思に反したのである。之れを昔の教への通りに、「父母在す間は其の膝下を離れず孝養を尽すべきものである」といふ見地から見れば、大に不孝の子たるを免れぬ。又「身を致し家を納め、父母の意を安ずるのが孝の基である」といふ孝経の訓へに従つたならば、私は当然親の意思に従つて郷里に止まり家業に従事すべきであつた。然し血気盛りの私には到底、燃ゆるが如き希望と計画とを放擲して家居する事は出来ない相談であつた。此の場合に於て若し杓子定規の道学者の解釈に従へば、私は勢ひ不孝の子たらざるを得なかつたのである。然し幸ひにして私は、理解ある父に依つて不孝の子たらずして済んだ。それは即ち孝に対する新しい解釈の仕方をされたからである。
 父は私の志のどうしても翻へすべからざるを看取して、一日私を其の居間に招いた。そして言ふには、人には各〻備つた才能があり、異つた性分がある。其の性分の最も好む処に向つて進むのが天分を発揮する所以である。さればお前を手離し度くないけれども、お前の決心も一概に悪いと言ふ事も出来ない。それを強ひて止めるとお前は出奔しても望みを遂げようとするであらう。さうすれば不孝の子となる。就ては、お前の身体はお前の自由にするから、望み通り出京するがよい。詰り親が不孝の子とさせまいと思ふ為であつて、言ひ換ふれば親が子に孝行をさせるのであるといつて笑つて私の出京を許されたのであつた。

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デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.467-471
底本の記事タイトル:三三一 竜門雑誌 第四〇八号 大正一一年五月 : 実験論語処世談(第五十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第408号(竜門社, 1922.05)
初出誌:『実業之世界』第18巻第8,9号(実業之世界社, 1921.08,09)