デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一

2. 陳蔡の難と孔門の十哲

ちんさいのなんとこうもんのじってつ

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子曰。従我於陳蔡者。皆不及門也。徳行。顔淵。閔子騫。冉伯牛。仲弓。言語。宰我。子貢。政事。冉有。季路。文学。子游。子夏。【先進第十一】
(子曰く。我に陳蔡に従ふ者は、皆門に及ばざるなり。徳行には顔淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。言語には宰我、子貢。政事には冉有、季路。文学には子游、子夏。)
 此の章に挙げられた人々は所謂孔門の十哲と云つて、一般世人には孔子門下の優れたる高弟と言はれてゐるが、成程優れた門弟ではあつたが、必ずしも代表的人物とは言ひ得ない。現に孔子の門には十哲の外に曾子を始めとして有名な門弟が居るのである。
 孔子、楚の国に聘せられて任に赴く事となつた時、之れを聞いた陳蔡の謀将は、孔子が楚に用ひられては陳蔡が危ぶないといふので、孔子を途中に要して之れを包囲し、糧食の途を絶つたので非常に困つたのであつた。孔子に附き従ふ人々は大いに心配し、此先どうなる事かと危ぶんでゐたのであつたが、独り孔子は此の災厄の中にあつて泰然自若として少しも動ぜず、恰も平日の如き態度を以て寝て居つたのである。即ち孔子は斯かる場合に於ても死生を眼中に置かず、悠々として其の災厄を知らざる如くであつた。斯くの如きは孔子にして始めて出来る事である。楚の国の大夫は之れを聞いて兵を随へ兵粮を持つて助けに行つたのであるが、孔子後年に至つて当時の事を追憶し、共に苦難を嘗めた門弟中の特出せる十人を挙げて、各〻其の特徴を述べられたのである。之れに就ては別に現代に当て嵌めて取り立てて言ふ程の事はない。只学ぶ可きは、死生の間に在りて少しも動ぜざる孔夫子の態度である。

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デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.467-471
底本の記事タイトル:三三一 竜門雑誌 第四〇八号 大正一一年五月 : 実験論語処世談(第五十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第408号(竜門社, 1922.05)
初出誌:『実業之世界』第18巻第8,9号(実業之世界社, 1921.08,09)