デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一

7. 嘘を平気で言ふ現代人心理

うそをへいきでいうげんだいじんしんり

(56)-7

南容三復白圭。孔子以其兄之子妻之。【先進第十一】
(南容三び白圭を復す。孔子其兄の子を以て之に妻す。)
 詩経の大雅、抑の篇に「白圭之玷、尚磨也。斯言之玷、不可為也」の詩がある。此の詩は文字の如く「白圭(白い玉)の欠け損じたのは磨けば其の瑕を除く事が出来るであらう。然し言葉の欠損、即ち失言に至つては、如何にも復た之れを除く事が出来ない」といふ意味である。南容は非常に謹厳な人であつたが、言語を慎しまんが為めに、常に白圭の詩を再三反復して之れを打ち誦して居た。孔夫子が之を聞いて南容の人為を愛し、兄たる人の女を以て南容に妻はされたといふのが此の章句の大意である。
 按ずるに今の世の多くの人は、此の言語に就ては甚だしく慎みを欠いてゐる様に思はれる。殊に一の宝を得る為に百の嘘言を言つて平気で居る者がある。中には巧みに嘘を言つて他人を謀り、寧ろ夫れを自慢にしてゐる人もあるが、誠に慨しい風潮と言はなければならない。一体人間は嘘言を以て一時の利益を得る事があつても、夫れは決して正しい道でない許りでなく、末始終満足せらる可きものではない。朋友の交りも之れが為めに破れ、多年の信用も之れが為めに失ふに至るであらう。物質的、利己的方面にのみ傾きつつある現代人に対して、私は切に反省を促し、精神的方面に顧る処あらん事を切望する。

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デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.467-471
底本の記事タイトル:三三一 竜門雑誌 第四〇八号 大正一一年五月 : 実験論語処世談(第五十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第408号(竜門社, 1922.05)
初出誌:『実業之世界』第18巻第8,9号(実業之世界社, 1921.08,09)