デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一

3. 孔子顔回を推称す

こうしがんかいをすいしょうす

(56)-3

子曰。回也。非助我者也。於吾言。無所不説。【先進第十一】
(子曰く。回や我を助る者に非ざるなり。吾が言に於て説ばざる所なし。)
 之れは孔子が顔回を評されたのであつて、顔回は孔子の説く所には一の質問をする事もなく、常に悦んで傾聴して居つた。能く物の分つた同士であると、質問したり、討議したりする必要がない。顔回は能く孔子の教へを理解し、曾て一度も質問した事がないから、一向頼りないやうだと言はれたのであるが、其の真意は顔回を称揚したのである。
 能く世間にある事であるが、一の意見に対して疑問の点や異つた意見を述べる事は、或場合には為めになる事もあるが、初めから是非の分つて居るものに対しては其の必要がない。今日は師弟の間柄は大に昔と変つて来て居るが、竜門社の社員などには或は顔回のやうな人もあるかも知れぬが、概して古い説といへば善い事も悪い事も玉石混淆して、駁撃討論百出、殆んど其の帰する処を知らぬ有様である。之れ果して喜ぶ可きものであるか否か、私が孔子ならば顔回のやうな人が欲しいと思ふ。

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デジタル版「実験論語処世談」(56) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.467-471
底本の記事タイトル:三三一 竜門雑誌 第四〇八号 大正一一年五月 : 実験論語処世談(第五十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第408号(竜門社, 1922.05)
初出誌:『実業之世界』第18巻第8,9号(実業之世界社, 1921.08,09)