デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一

1. 人は其節度を守れ

ひとはそのせつどをまもれ

(57)-1

顔淵死。顔路請子之車以為之椁。子曰。才不才。亦各言其子也。鯉也死。有棺而無椁。吾不徒行以為之椁。以吾従大夫之後。不可徒行也。【先進第十一】
(顔淵死す、顔路子の車を以て之れが椁を為んと請ふ。子曰く、才も不才も各々其の子と言ふ。鯉や死す。棺有て椁無し。吾れ徒行し以て之が椁と為らず。吾が大夫の後へに従ふを以て徒行すべからざるなり。)
 此の章句は、喪礼は能く其の本分を守り、虚飾に流れぬ様にしなければならぬ事を訓へられたのである。顔淵は前にも屡〻御話をした如く、孔門三千の門弟中最も傑出した人で、最愛の弟子であつたから、孔子は大に其の死を惜み、且つ悲しまれた。「噫天予を喪《ほろぼ》せり、天予を喪せり」と、言はれた程である。処が顔淵の父の顔路が淵の死するや、其の家が貧しくして外棺を買ふ事が出来ぬから、孔子の車を売つて顔淵の為に外棺を買ふ資となさんことを請うた。孔子は之に答へて言ふには、其の才子たると不才子たるとを問はず、何人も各〻吾が子を愛するの情は同じである。顔淵は才子であつて鯉は不才子であるけれども、親として子を愛するの情に於ては変りはない。然るに曩に自分の子の鯉の死んだ時にも、之を葬るに棺のみであつて、外棺を備ふる事が出来なかつたけれども、之れが為めに私の車を売る事はしなかつた。之れは、私は大夫に従ふ時に必ず車に乗る身分で、徒行する事が出来ないからであると、顔路を懇諭せられたのである。
 要するに人間は貧富相当の本分に安んずべきものである。親の情として子の葬儀を立派にしたいと思ふのは無理もない事であるけれども決して適度を越してはならぬ。孔子は此点に於て自ら守ることが正しかつたと共に、門弟其他に対しても深く之を戒められ、其の居常の節度が人情に適し、情に駆られて余り愛し過ぎたり、又悲しみ過ぎたりするやうな事をされず、些末の事にも深く注意を払はれた。されば自分の道徳の後継者とも思うて居つた顔淵の死にあつて非常に愛惜せられたけれども、顔路の請を容れずに之れを懇諭されたのである。場合に依つては、節度を失ふといふ事は愛嬌に見える事もあるが、夫れは決して立派な行為とは言へぬ。孔子は其の一生を通じて喜んで喜び過ぎたり、又悲しみ過ぎて我れを忘れるやうな事はなかつた。能く人臣君子の度合を保たれたのである。
 現代の人々は、概して此の節度を失ひ易い。物事には総て此の節度を忘れてはならぬ。孔子の顔路を諭された教訓は、直ちに現代の人々にも好教訓たるを失はない。

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デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.475-479
底本の記事タイトル:三三四 竜門雑誌 第四〇九号 大正一一年六月 : 実験論語処世談(第五十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第409号(竜門社, 1922.06)
初出誌:『実業之世界』第18巻第11,12号(実業之世界社, 1921.11,12)