4. 孔子の常住坐臥髣髴たり
こうしのじょうじゅうざがほうふつたり
(57)-4
顔淵死。門人欲厚葬之。子曰。不可。門人厚葬之。子曰。回也視予猶父也。予不得視猶子也。非我也。夫二三子也。【先進第十一】
(顔淵死す。門人厚く之を葬らんと欲す。子曰く、不可なりと。門人厚く之を葬る。子曰く、回や予を視ること猶父の如くす、予視ること猶子の如くすることを得ず。我に非ず、夫の二三子也。)
顔回が死んだ時、門人等は之を厚く葬らんとして孔子に謀つたので孔子は宜しく分に応じて行ふ可きもので、分に過ぎてはならぬと之を止められた。然るに門人等は之を聴かないで厚く葬つたのである。孔子歎じて言ふには、顔回は平生予を見ること父の如く、自分も亦子の如く思うて居つたのに、予の子供の鯉の葬りの適度であつた如くする事が出来ず、適度を越えて厚きに失したのは遺憾である。然し之れは自分が顔回を子として視なかつた為めでない。門人等が師を思ふの情の厚きに失したるに外ならない。顔回も地下に在つて此の意を諒するであらうと述懐されたのである。(顔淵死す。門人厚く之を葬らんと欲す。子曰く、不可なりと。門人厚く之を葬る。子曰く、回や予を視ること猶父の如くす、予視ること猶子の如くすることを得ず。我に非ず、夫の二三子也。)
此の章は、前の二三章を承けたのであつて、其の末の章は聊か愚痴らしく思はれるが、茲が論語の面白い処で、孔子の居常を有りのままに飾らず偽らず述べてある処が、真に価値ある所以である。譬へば甘い物を食へば遂ひ思はず少し食ひ過ぎるとか、不平な時には覚えず愚痴を洩らすとか、面白い本を読んで知らずに時間を過ごすと言ふやうな事はどんな君子にも有り勝な事である。されば論語に対しても非難を言へばないでもないが、孔子の常住坐臥を其のままにうつしたのであるから、非難すべきではないと思ふ。
- デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.475-479
底本の記事タイトル:三三四 竜門雑誌 第四〇九号 大正一一年六月 : 実験論語処世談(第五十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第409号(竜門社, 1922.06)
初出誌:『実業之世界』第18巻第11,12号(実業之世界社, 1921.11,12)