デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一

2. 孔子顔淵の死を悼む

こうしがんえんのしをいたむ

(57)-2

顔淵死。子曰。噫。天喪予。天喪予。【先進第十一】
(顔淵死す。子曰く、噫、天予を喪せり、天予を喪せり。)
 之れは孔子が顔淵の死を悼んで、深く之れを悲しみたまうたのである。
 孔子は最初自分一代に於て世道人心の頽廃を革めたいと予期せられたらうけれども、一時の力ではどうしても出来るものではない。二代三代に亘りて始めて気風が改まるといふのが、国を憂ひ、世を憂ふる人のする事である。孔子後年に至り、我が道は今日に於ては未だ一般に行はれないけれども、幸に顔回が居つて道を伝へたならば、他日行はるる事もあらうと自ら慰めて居られたのであるが、其後継者を以て目せる顔回が、年若うして孔子に先だちて死んだので、孔子は其の道を伝ふ可き者がないと慨かれたのである。孔子の門弟子を愛するの情の深いのを知ると共に、常に其道を世に行ふ事を念とされて居つた事が分る。

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デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.475-479
底本の記事タイトル:三三四 竜門雑誌 第四〇九号 大正一一年六月 : 実験論語処世談(第五十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第409号(竜門社, 1922.06)
初出誌:『実業之世界』第18巻第11,12号(実業之世界社, 1921.11,12)